※本稿は、横道誠(編)『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店)の一部を再編集したものです。
信仰熱心な母と入信しなかった父の間に生まれて
母が創価学会員でした。岩手県の出身で、母が中学校2年生ぐらいのとき、母の兄、つまり私の伯父がもう治らないかもしれないと言われるような大怪我を足に負いました。それで伯父が創価学会に入信して、勤行をしていたら、怪我が治ったそうです。母はそれを見て、これは本当に信じていいものだと思ったらしくて、自分でも創価学会に入信して、そのあとに自分の兄弟姉妹や親を折伏して創価学会に入れたという経緯があります。中学時代から、黒板に雲の絵を描いて、そこから雨が降っている様子の絵にして、「ご本尊様というのはこの恵みの雨のようなものです」とクラスで発表するような熱心な信者だったようです。
世俗的なことには興味がない人で、西城秀樹のファンだったという側面はありますが(笑)、ほかには何が好きかはほとんど聞いたことがありません。創価学会の信仰にまっしぐらです。この母の娘として、私は宗教2世でした。
両親の結婚式に父の親戚は誰も来ていなかった
父と母は同じ中学校の出身です。母は父より学年がひとつ下でした。父は学校でわりと目立っていて、生徒会長をやっていたので、母は父を知っていて、父は母を知らないという状況だったんです。そのあと父は進学校の高校に進んで、母は商業高校に通ったと聞きました。そのまま離れてしまったわけですが、おとなになって東京に出てきたときに偶然再会しました。父が勤めていた会社に母も事務員として入ってきて、それで母のほうが「生徒会長の先輩だ!」とびっくりして、母からアタックしたという経緯があります。
それから、いったいどんな事情があったかは知らないのですが、父は母の言うことを聞かなくてはいけないような状況になったらしく、父には恋人がいたのになぜか母と結婚することになりました。母は父に創価学会に入信してくれと頼んで、一度は父もそうすると約束したらしいんです。なので、おそらくそのせいだと思うのですが、両親の結婚式の写真を見ると、父方の親戚は誰も来てないんですね。母方の親戚、親戚というか家族兄弟だけが来ている。ふたりは結婚しましたが、結局、父は約束を破って入信せずに、母だけが熱心で、父は母の信仰に反対するというのが、私が生まれた段階での夫婦の関係です。
私は東京で生まれましたが、3歳のときに埼玉県に引っ越して、それからいまに至るまでずっと埼玉です。3歳下の妹がいて、いまでも姉妹一緒に住んでいます。