「父と子」から「監督と選手」になった関係

野村克則がつぶやいた。

長谷川晶一『名将前夜』(角川書店)
長谷川晶一『名将前夜』(KADOKAWA)

「港東でやっていた時期というのは、父といちばん濃い時間を過ごせたのかなぁと思いますね。

父はそれまでほとんど家にいなかったので、この1年ぐらいの期間は本当に濃い時間だったんじゃないかなって……」

港東ムース1期生にして、実の息子でもある克則の述懐は続く。

「……港東ができる前、目黒西、目黒東リトルにいた頃は、友だちの保護者の方たちみたいに、父が試合の応援に来るということはありませんでした。授業参観日に来ることもほとんどなかったし、遊園地に連れていってもらったこともなかったです。シーズンオフの時期に、ちょっと家族旅行に行ったりはしていましたけど、せいぜいそのくらいでした。でも、港東ムースができてからの1年くらいの間はいつも父と一緒にいました」

克則が出版した『プロ失格 父と子、それは監督と選手だった』(日本文芸社)では、この当時について次のように振り返っている。

僕が幼少の頃、親父は多忙を極めて家を留守にしていることが多かった。それがいまは野球を通じて親父と同じ時間を共有できている。そのことが実感できるだけでうれしかった。

僕がプロに入ったあと、親父とはヤクルト、阪神、楽天と3球団で同じユニフォームを着ることができたが、いま振り返って考えてみると、そのときとは何かが違った。

プロ入りした時点で、すでに野村と克則は「父と子」ではなく、「監督と選手」という関係になっていた。純粋に「父と子」でいられたのは中学生の頃までだった。偉大な野球人として多忙なときを過ごしていた父との生涯唯一の濃密なひととき、それが克則にとっての港東ムース時代だったのだ。

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