1分間の価値を最大限まで高められるか

では、彼らと私の違いはなんだろう? そう考えたとき、「時間密度」という言葉が頭に浮かびました。

たとえば、

大事な試験の最後の1分。
何も考えずにボーッと過ごす1分。
夜空を見上げて、宇宙の果てに思いをはせる1分。
ネット上をぼんやりとさまよう1分。
腕立て伏せを続ける1分。
カリカリイライラする1分。
他人のために尽くす1分。
笑いが止まらない1分。

物理的にはどれも同じ1分です。

でもどう使うかで、その1分の価値は大きく変わってくる。

偉業を成し遂げた人の時間というのは、その密度がすこぶる濃かったのではないか。たとえば同じ1分でも私のそれに比べたら、ずっと価値が高く密度が濃いものではなかったのか、と。

ならば、私も時間密度を高めればいい。

「時間がない、時間がない」と嘆いていたけれど、1分や2分の時間なら、1日のそこかしこに転がっているはず。その密度を高めていけばいいのだ。それを丹念に積み重ねていけばいい。

時間密度を高めれば、きっと人生はもっと豊かなものになる。そう思えたのです。

私にとって「時間がない」という状況で留学準備を進める経験は、同時に、いかにして時間をつくり出すか、また生み出した時間、見つけた時間をいかに密度の濃いものにするか、という時間管理の力を磨く経験でもありました。

勉強している人の手元
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです

本稿では、時間がなかったからこそ身につけた、私なりの時間の使い方、生み出し方をお伝えできたらと思っています。

大切なのは「余力と笑顔が残る程度に」がんばること

といっても、1日24時間、1分1分を緊張状態で過ごす、というわけでは決してありません。

もともと私は、仕事も育児も家事も、できればそんなにがんばらないで続けたいと考えているタイプです。

もちろんそれぞれに真剣に取り組み、ときとして周囲の声が耳に届かなくなるほどグッと集中もしますが、自分を見失わない程度の真剣さ、なんだかうまく事が進まないというときでも、「これはこれで、まあいいか」と考える図太さが身についています。

だからときにはボーッとする時間もあっていい。

たとえそれが現実逃避とわかっていたとしても、友人ととりとめのないメールをやりとりする時間があってもいい。

それが明日への活力となるのなら、それで笑顔を取り戻すことができるのなら、それはそれで価値のある時間だと思うのです。