「心機一転、この春こそは」と意気込むも、すぐに挫折。そんなとき必ず思ってしまうのが、型にはまった受験やテスト勉強にいったい何の意味があるの? という疑問……。『超「超」勉強法』を上梓した野口悠紀雄さんは「自然界の生き物はみな、生まれ持った運命にしたがってその生を終えます。しかし人間だけが、“勉強”で運命を変えられるのです」という──。(第1回/全7回)

※本稿は、野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

暗記は良くないことなのか?

多くの教育関係者は、「自分の頭で考えよ」「創造する力が重要」とアドバイスします。教育関係者でなくとも、「暗記は良くない。自分の頭で考えよ」と言う人がたくさんいます。

「暗記」というと、有無を言わさず押しつけるだけで、理解という過程を伴わない。ただルールに従うだけだと考えている人が多いのです。そのため、暗記という方法は、「詰め込み教育」「ガリ勉」「点取り虫」などという言葉と結びついており、それに対して否定的なイメージを持つ人がたくさんいます。

そして、本当の教育は、もっと自由な発想ができるようにすることだというのです。「パタンに当てはめるだけでは、定型的な思考しかできない。自分で考えないと創造はできない」。

そして、「自由な発想が必要だ。そのためには、自分の頭で最初から考える必要がある」と言います。

女子大生
写真=iStock.com/SunnyVMD
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「自分の頭で考えよ」は偽りの独創性

しかし、本当にそうでしょうか? この考えはインチキだと、私は考えています。

野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)
野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)

初めて出会ったタイプの問題に対して、「自分の頭で考えよ」と言われても、何も考えつかないのが普通です。たとえば中学受験でよく出題されるツルカメ算であれば、「未知数と方程式を用いれば解ける」という方法を暗記しているほうがよい。すぐに解けるし、何をやっているかを理解できます。

これは、専門の研究においても当てはまります。

自分流の方法で進めるのではなく、先人たちが行なった業績を出発点にして、その考えに従ってできるところまで進む。そして、その方法ではどうしてもそれ以上に進めないところまで行って、新しいやり方を考えるというのが、正しい方法なのです。

したがって、多くのことを暗記している人のほうが、独創性を発揮できます。「自分の頭で考えよ」というのは、「偽りの独創性」です。