「その問題については3つのポイントがあります」
小泉内閣で金融相などを務めた竹中平蔵氏の口癖である。いかにも「勉強しているな」と思わせる魔法の言葉だ。竹中氏の独創ではなく、ずいぶん前からあちこちで使われてきた“古典”である。
「2つ」では少ないし「4つ」では多い。ここでは「3つ」という数がものをいう。
竹中氏ではないが、実際にこの言い回しを使っている人から聞いたところでは、何についても一つくらいは主張することがあるもので、「3つある」と決め付けたあとで、まずは最初の一つについて弁じていく。あとの2つは、しゃべりながら考えるという。
過不足なく3つのポイントに整理できれば問題はないが、急造した場合は、よくよく聞いてみるとポイントの1と2とで同じことを別の表現で述べているだけということがある。それでも「3つ」と断じることで、聞き手には「切れる奴だ」という鮮烈な印象を残せるのだ。
「起承転結というが、欧米人を相手にするときは、結起承でプレゼンテーションをするべきだ」
あるところで聞いた言葉である。日本人は起承転結型のストーリーを好むが、欧米人には回りくどい。また、起承転結はあくまでも文芸の型であり、商談や冷蔵庫の説明書には不向き。結起承の展開なら、知的な印象を強めるだろう。
だが、ご存じのとおり、人生には旗幟鮮明にしてはいけない場面もある。決して「結」を口にせず、相手に言質を取られないための心得が江戸時代の狂歌に残っている。
「世の中は 左様 しからば ごもっとも そうでござるか しかと存ぜぬ」
「左様」以下5つの言葉で相槌を打てば、自分の意見を表明することなく会話を続けられるということだ。江戸庶民の知恵である。ただし、多用しすぎると信用をなくすかもしれない。
「国際化とは五親等以内に外国人がいることだ」
あるところで読んだ一文だが、具体的で非常に説得力がある。従兄弟は四親等、その子どもが五親等だ。国際化が進んでいる社会、たとえばカナダあたりだと、最低、従兄弟のすぐ外側が外国人というケースはいくらでもあるだろう。
正面から論じたら長々とした文章になるところを、別の切り口から、短いフレーズで鮮やかに表現してみる。目に見えるようで、印象深い。
※すべて雑誌掲載当時