「二番じゃいけないんですか?」
鳩山由紀夫内閣で唯一の見せ場だった「事業仕分け」。蓮舫議員の舌鋒鋭い仕分けぶりが話題を呼んだ。税金の無駄遣いをなくすという大義名分は結構だが、仕分けられるほうは哀れである。次のような応用を考えた。
「二番でいいんです。家ではいつもナンバー2ですから」
情けない調子で切り出せば、にやりとしつつ、共感を示す相手が多いだろう。たいていの男は、家では奥さんに次いで「ナンバー2」。仕分けられる側の悲哀がわかるからだ。
次は女性のセリフ。ミスや不正をとがめられ、進退窮まったときにどう言い抜けするか。
「みんな私が悪いのよ。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、み~んな私のせい」
あからさまな開き直りだ。こうなると、もう相手は矛ほこを収めるほかない。情に訴え、その場を逃れるためのテクニックといえる。
もっとも、これを一ひねりして、不条理な笑いに変えた男性がいる。
10年以上前のこと。読売ジャイアンツが優勝を逃したとき、ジャイアンツファンとして知られる高名なクリエーターが、深刻な顔をしてぽつり。なんの関係もないのに……。
「みんな、私が悪いんです」
これには爆笑させられた。
さて、以上は変化球。相手の情に訴えかけて徐々に信頼される。そのときの本道は、相手をうまく褒めるということに尽きる。
みごとな褒め上手だったのが、作家の井上ひさしさんだ。相手がここを褒めてほしいと思うところを、一番いいタイミングで褒めることができた。
「作品の内容をよく理解して読んでいますね。そこがとても感動的でした」
私の妻が小説の朗読会を行ったときに評してくれたのが、この言葉。
妻は演出家の鴨下信一さんの指導を受けている朗読家だが、鴨下さんの教えはまさに「作品の中身をよく理解して読むことが一番大事だ」ということ。そこを褒められたのだから、嬉しくないはずはない。
井上さんとはさまざまな文学賞の選考会でご一緒したが、そういうときも「この作者はここを、こういうふうに褒められたら嬉しいだろうな」と思うようなことを述べていた。決して作品の評価に対して甘い人ではないが、作品や作家の「いいところ」をとらえて評価することの上手な人だった。
※すべて雑誌掲載当時