虐待親にとって子どもは自分とつながる唯一の存在

ピンチの時に自分の身内が頼れず、逆に責められてしまう。そして、今まで一緒にいたはずの子どもが目の前にいない。夫の大樹さんはマミちゃんがいなくなって咲希さんにとって良かったと言いますが、彼女にとっては大きな喪失です。

私もかつてインタビューを受けた時、「手をあげてしまうようなかわいくない子どもがいなくなって、親はせいせいしているのではないですか?」という質問を投げかけられたことがありましたが、答えは否です。マミちゃんの食事のケア、身体のケアを頑張ってこなしてきた咲希さんにとっては、マミちゃんがいなくなることは、彼女自身の日常の一部がなくなることと同じなのです。

マミちゃん用の薬箱を見ては涙が出ます。「あんなに腹を立てていた子なのに。自分にこんな感情があったなんて……」とつらくなります。同時に、あのまま一緒にいたら、もっと恐ろしいことをしていたかもしれないという、安堵の感情があるのも否定できません。日々気持ちは揺れ動きます。

家庭での母親の日常生活
写真=iStock.com/monzenmachi
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喪失感から「絶望、怒り」へと変わっていく

突然の分離による喪失感の大きさは私たちの想像を超えます。社会とのつながりも希薄な親たちにとって、子どもの存在の大きさは計り知れません。

「自分にとって、この子が唯一の肉親。自分が頼れる人間そのもの。これまでこんなに大切な存在はいなかった。この子と離れるなんて、誰かにとられるなんて……。児相が憎い」
「病院で保護された時にベッドに残っていたわが子の髪の毛を持ち帰った。おかしくなりそうだった、それをずっと握りしめて泣いていた」
「二週間ほど、何も食べる気がしなかった。起き上がれなかった。でもこのままやったら、よけいに子どもが帰ってこないと思って、頑張って食べた。児相と戦うために……」

親たちのそれぞれの話からは、彼女たちが一人で薄暗い部屋の中で途方に暮れている姿が目に浮かぶようです。

この時の咲希さんの苦痛や恐れの中身
・自身の大切なもの、大切な日常を失った→「寂しさ」や「空虚感」
・何もする気が起きません→「絶望感」

どうやって立ち上がればいいのかわからない、動けない状態かもしれません。