米国への崇拝以外に根拠が何もない

同じことは00年代の二度にわたるアメリカのバブルについてもいえる。

アメリカでIT(情報技術)バブルが崩壊したさいにも「幻想の部分を市場自体がつぶす過程に入った」(00年4月30日社説)と呑気だった。住宅ブームで生まれた空前のバブルについても「住宅価格が上がっているのは確かだが、バブルではない」というグリーンスパンFRB議長の言葉を引用しながら、アメリカのバブルを指摘する者に反論するコラムを掲載した(02年10月12日付)。

そもそも日本経済新聞には、アメリカは住宅バブルだという認識が欠落していた。問題の中心だった「サブプライム」という言葉が、06年になっても一回しか紙面に登場していない。これはいかにアメリカでの取材がいい加減だったかを示すものだろう。それでいて、事が起こってから社説に「サブプライムが変えた世界経済の風景」(08年8月11日付)と偉そうに掲げたのだから唖然とした。

アメリカに関する記事については、もう、ほとんどアメリカ経済への崇拝とアメリカ政府への追従だけといってよく、01年からエンロン事件などで明らかになる株価至上主義にひそむアメリカ型コーポレート・ガバナンスの腐敗をまったく報道していない。

それどころか、「米国では、社外重役が選考委員会を作って大々的に後継者を探すという具合に、トップの決め方が、内輪でことを運ぶ日本とは全くちがう」(93年4月21日付)などと述べる記事が載った。しかし、すでにアメリカでは、社外重役は会長兼CEOのお仲間が就任するものに転落していたのである。

アメリカ追従報道の典型としては、00年7月19日付夕刊の一面に「日米政府発表、NTT接続料、4月から引き下げ合意」との記事がある。接続料を下げろといっていたアメリカと日経の要求がついにかなえられたと手放しで喜ぶ記事だった。00年7月17日の社説でも日経は「長年の懸案に答えを出す姿勢をみせれば、クリントン米大統領は中東和平交渉を中断してでも沖縄に来る」とアメリカのお先棒を担いでいた。

ところが、同じ7月19日夕刊の二面には「米の通信接続料算定法、連邦高裁が違法判断」という小さなコラムも載った。実は、日米接続料交渉で根拠にされた接続料算定法が、アメリカ国内の裁判では「空想」の産物とされたという報道だった。こちらは地味なコラムだったが、さすがに事の重大さから日経も無視できなかったのだろう。

日本経済新聞の記事は、たしかに情報量は多いかもしれない。しかし、その大半がそのときどきの自社キャンペーンのプロパガンダで、しかも、アメリカへの崇拝以外には何も根拠がない。読者が判断の材料とするにはあまりに危ういことが、たったこれだけの例からも明らかだろう。

※すべて雑誌掲載当時

(撮影=市来朋久)
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