幸せにならなくてもオッケー
「幸せとは?」と考えるときに外せないのは、ベルギーのメーテルリンクが100年ぐらい前に発表した童話劇『青い鳥』です。ご存じのとおり、チルチルとミチルの兄妹が謎のおばあさんに頼まれて、幸せの青い鳥を探す旅に出るお話です。
自分にとっての幸せの青い鳥はどこにいて、どうすれば捕まえられるのでしょうか。捕まえるためには、やっぱり無理をしなければならないのでしょうか。幸せがどういうものかは誰にもわかりません。それでいて「誰もが幸せになりたいと願っている」「人生でいちばん大事なのは幸せになることである」という前提は、なんとなく共有されています。
念願かなって幸せになったとすると、どんないいことがあるのか。えーっと、少なくとも幸せは手に入ります。具体的にどういうことかは、よくわかりませんけど。逆に、いちおう幸せそうな状態になった場合に、どんな困ったことが起きるか。そっちはいくつか思い浮かびます。
■ もっと幸せになりたいという欲望がどんどん湧いてきて、今の状況に強い物足りなさを覚える
■ 幸せを失って不幸せになることへの恐怖心がどんどん湧いてきて、幸せを味わうどころではなくなる
■ 幸せそうな人を見ると対抗意識がどんどん湧いてきて、自分のほうが勝っているという理由を探すことに忙しくなる
主に、こんなところでしょうか。いわゆる「お金持ち」には、こういう感じになっている人がいそうですね。大きなお世話ですが、お気の毒なことです。
「幸せになること」を目標にがんばると、目指し始めた時点から物足りなさや恐怖心や対抗意識に振り回されるかも。なんせゴールはないので、永遠にその状態が続くことになります。それはけっこう不幸せな状態と言えるでしょう。
チルチルとミチルが旅に出て探し求めた「幸せの青い鳥」は、結局、自分の家にいました。無理をして幸せを探そうとしなくても、幸せは自分の手の届く範囲や自分の中にあるということでしょうか。あっちこっち探し回ろうとしないことや、わざわざなろうとしないことが、幸せを感じる必須条件なのかもしれません。