世の中に多くの固定観念があるが、必ずしも正しいとは限らない。コラムニストの石原壮一郎さんは「実社会やSNSで人脈や交友を広げることがいいとされていますが、かえってそれがストレスになり、腐れ縁になってしまうケースも多い」という――。

※本稿は、石原壮一郎『無理をしない快感』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

居酒屋で乾杯するグループ
写真=iStock.com/recep-bg
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人脈は作らなくてオッケー

これまでの人生を振り返ってみて、“作ろうとして作った人脈”が役に立ったことがあるでしょうか。いやない。

「人脈が豊富な人と思われたい」「メリットがある人脈をつかみたい」という下心を丸出しにして、せっせと人脈作りにはげんでいる人は少なからずいます。そういう人を見るたびに、ちょっと軽べつが混じった視線を向けてきたのではないでしょうか。

「仕事ができないヤツに限って、人脈人脈って言いたがるんだよな」ぐらいのことも思ったでしょう。年齢を重ねて社会経験を重ね、いろんな人を見るにつれて、その思いは確信に変わっていったに違いありません。

若いころは「異業種交流会」という響きに魅力を感じ、「人脈を広げたい」と期待に胸をふくらませて参加してみたことがある人は多いでしょう。恥ずかしながら、私も何度か行きました。

しかし、そこで交換したたくさんの名刺を翌日になって見直しても、相手の顔はほとんど浮かんできません。まして、わざわざ連絡を取ることも連絡が来ることもまずありません。

そもそも人と人とのつながりを「人脈」と呼ぶところが、うさん臭さに満ちています。「鉱脈」から連想されるように「おいしいメリット」の存在が前提になっているし、「山脈」を重ね合わせて自分を実際以上に大きく見せようというセコい了見もうかがえます。面と向かって「Aさんと人脈ができて嬉しいです」と言われたら、Aさんはさぞ気分が悪いでしょう。

「人脈が広がればデキるビジネスマンになれる」と「これこれこういうハウツーを身に着ければモテる」という妄想は、よく似ています。妄想しているあいだはウキウキできますが、現実には昨日と同じイマイチな自分がいるだけ。むしろ、必死になって妄想を追えば追うほど、よりイマイチになっていきます。

無理をしなくても、つながる必然性がある相手とは、やがてつながります。私たちは昔から、そういうつながりを「ご縁」と呼んできました。「人脈を作らなければ」という気持ちは、今すぐ捨てましょう。そうすることで初めて、自分にとって本当に必要で大切にしたい「いいご縁」が寄ってきます。