「人として○○であるべき」。世の中にはそんな縛りが多いが、それによって窮屈な思いをすることもある。コラムニストの石原壮一郎さんは「大人たるもの、歴史上の人物に詳しいほうがいい。そんな空気がありますが、無理に詳しいフリをしたり、なんとなくカッコいいからと付け焼刃の知識を仕入れたりすると、逆にイラっとされたり、憐れみのまなざしを向けられたりするのが関の山です」という――。

※本稿は、石原壮一郎『無理をしない快感』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

断捨離はしなくてオッケー

こうして「断捨離」という文字を見ると、ほとんどの人は「ギクッ」としてしまうでしょう。たしかに家の中を見渡すと、二度と使わないであろうモノや二度と読まないであろう本や二度と着ないであろう服があふれています。

日本の住宅事情、特に都会の住宅事情においては、余分なスペースがふんだんにある家はほとんどありません。多くの家では、いらないもので無駄なスペースを使うことは、最大級の重罪とされています。

「断捨離」はもともとはヨガの思想で、「断行だんぎょう」(いらないものを断る)、「捨行しゃぎょう」(いらないものを捨てる)、「離行りぎょう」(執着から離れる)の3つが合わさったもの。作家のやましたひでこさんが2009(平成21)年に出版した本『新・片づけ術 断捨離』によって広く知られるようになりました。

最初のころは「モノを減らす」が重視されていましたが、昨今は人間関係のしがらみや社会的役割を減らすことも含めた文脈で語られがち。大まかに言えば、この本も「断捨離のススメ」です。

同じところを目指しているはずなのに、「断捨離はしなくてオッケー」と言い出すとは、どういうことなのか。無理をせずにいろいろ捨てることは大事ですが、「断捨離をしなくては!」と張り切ってしまうのは、ちょっと危険ということです。

勤勉で生真面目なタイプの人は、捨てることが目的になって、必要なモノやつながりまで捨ててしまいがち。やりすぎると人生が寂しくなってしまいます。また、捨てても捨てても「もっと捨てなければ」という焦燥感に駆られてしまうことも。

複数のコートがラックにかかっている
写真=iStock.com/kaorinne
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結局、いろいろ捨てたのはいいけど、また別の重荷を背負うという本末転倒な構図になってしまいます。本来は楽しくてスッキリできる行為のはずなのに。

怠惰でいいかげんなタイプの人(ほとんどの人)は、目に見えて成果がわかるほどの「断捨離」を実行することはできません。それはそれで、常に「もっと捨てなければ」というプレッシャーを抱えることになったり、捨てられない自分に自己嫌悪を覚えたりする羽目になります。まずは「断捨離しなければ」というプレッシャーを断ち切り、捨て去って離れましょう。いやまあ「断捨離」自体にはなんの罪もないんですけどね。