インターネットの登場はマスメディアをどう変えたか

ゲートキーパーとしてのマスメディアに対して「自分が見たい情報は自分で決められる。見るべき情報をマスメディアが決めるのは傲慢ごうまんだ」という意見があるのは当然である。かつては「そうとはいえ、情報を得ようと思えばマスメディアに依存せざるを得ない」という現実が存在していたが、現代ではインターネットを通じて、いくらでも情報を入手することができる。

かくして、「インターネットという武器を得た我々は、マスメディアの情報支配から解放され、幸せになりました」とはいかなかったのが現実である。人間が見たい情報を見て、見たくない情報を見ないことは、個人にとっては良いかもしれないが、社会全体にとっては、深刻となる問題の存在が指摘されるようになった。

我々が「情報を見たい」と思う基準は何だろうか。ひとつは選択的接触の研究において明らかになっていたように、自分が元々持つ意見に沿った情報との一貫性である。対立する陣営が、それぞれ自分の意見に沿った情報に接触し、それぞれの意見がどんどん極端化していくならば、対話は成立しない。この現象は、他者の意見を聞いているつもりでも、実際には自分の意見の反響を聞いているようなものだということから、「エコーチェンバー」と呼ばれる。

コミュニケーション技術の概念
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自分の生活から遠いニュースを見なくなる傾向が強化されている

さらには、我々が情報を見たいと思う基準のもうひとつは、自身の生活との関連性である。Facebook創業者のザッカーバーグが「アフリカで死にかけている人々より家の前で死にかけている1匹のリスのほうが、あなたには重要かもしれない」と表現しているように、人間は遠い世界で起こるニュースよりも、自分の生活と直接結びついた情報を求める傾向を持つ。

日本との結びつきが明確な一部の例外を除く国際ニュースの多くは、我々にとって関連性が低いと見なされがちであり、また政治ニュースにも自分の生活には関連しないと見なされるニュースは少なくない。たとえば、ヤフートピックスの初代編集長である奥村倫弘は、コソボ自治州がセルビアから独立したニュースのクリック率が低かったことを取り上げ、「コソボは独立しなかった」という言葉で表現している。

人間が元々持つ意見に沿った情報や自分の生活に関連した情報を求めることは、以前から存在する傾向であり、インターネットの登場によって生じたわけではない。しかし、かつてはマスメディアが選別した情報が一斉に伝えられることによって抑制されてきたこの傾向は、インターネット上でそのまま行動に表せるようになったのである。