乳児への「神経芽細胞腫検診」の失敗

日本ではかつて、がん死亡率を減らすことを確認しないまま広く導入された検診がありました。生後6カ月の乳児を対象に、1985年から開始された「神経芽細胞腫マススクリーニング検査(神経芽細胞腫検診)」です。「神経芽細胞腫」は小児がんの一つ。その名前の通り、神経の細胞ががん化して過剰に増殖することで起こります。がん細胞はカテコラミンというホルモンを多く分泌し、その代謝産物は尿に排泄されます。その尿中の代謝産物を測定することでがんを発見できます。少量の尿で検査できるのは線虫検査と似ています。採血する必要すらなく、検査自体は体に負担はありません。

母親の指を握りしめる赤ちゃん
写真=iStock.com/west
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日本で6カ月児が対象だったのは、神経芽細胞種は1歳以上で発症した場合には予後が悪いことが知られていたからです。検診の結果、毎年100人以上もの赤ちゃんが神経芽細胞腫と診断されました。体に負担のない検査でがんを発見できて、一見するとよいことのように思えます。しかしながら、神経芽細胞腫の検診を受ける場合と、受けない場合とを比較して、がんと診断された人の数は増えた一方で、がん死亡率は減少しないという研究がカナダとドイツから報告されました。

また、生後6カ月時点で検診を行っているはずの日本でも、1歳以上の神経芽細胞腫の発生数は減りませんでした。1歳未満の患者数は増えており、全体としての神経芽細胞腫の発生数は約2倍になりました。これは「過剰診断」といって、治療をしなくても生涯にわたって症状を呈したり、死亡の原因となったりしないがんを診断していたためです。

がん検診の害の一つである「過剰診断」

過剰診断もまた、必要のない治療や心理的不安を招く、がん検診の主な害の一つです。神経芽細胞腫検診においては「治療しなくても症状を起こさないがんを診断していた」うえ「1歳以上で発症する予後の悪いがんは生後6カ月時点ではまだ診断できなかった」と思われます。進行が速い予後の悪いがんは、検診では捉えきれなかったり、検診で発見したときにはすでに手遅れだったりすることが、成人のがん検診でも知られています。

日本の神経芽細胞腫検診は、2003年に休止されました。その後の研究で、検診の休止後に神経芽細胞腫の発生率は減ったが、死亡率は変わらなかったこともわかっています。神経芽細胞腫で亡くなる赤ちゃんを減らしたいという善意からだったのでしょうが、検診を開始したことは失敗でした。ただ速やかに休止できたのは、海外のがん検診の教科書では「(日本の厚労省は)模範的な行動を取ることができた」と評価されています(※3)。検診の休止により、何百人もの赤ちゃんが不要な手術を受けずに済みました。

神経芽細胞腫検診の教訓は、がん死亡率の減少という利益が明確でないがん検診を拙速に導入すべきではないということです。臨床試験、それもできれば検診を受ける群と受けない群をランダムに分けて比較する「ランダム化比較試験」で検診の有効性を評価する必要があります。考えてみれば、ワクチンや治療薬では当たり前に行われていることです。

※3 ラッフル&グレイ著、『スクリーニング 健診、その発端から展望まで』同人社