もっと苦痛なく安全な検査はないか
すると、誰でも「もっと苦痛なく手軽に安全に、がん検診ができればいいのに」と思いますよね。実際、がん検査の中には血液1滴、尿1滴で診断できると称するものがあります。なかでも、がん患者の尿に線虫が反応することを利用した検査「N-NOSE(エヌ・ノーズ)」は話題を集め、テレビCMも流れました。少量の尿を提出するだけで検査そのものに苦痛はなく体に負担をかけないので、ゼロリスクのように思えます。しかも一度に全身15種類のがんのリスクを調べられ、お値段は1万数千円程度。とてもよさそうに思えます。しかし私は、がん検診として線虫検査を受けることをおすすめしません。
がん患者の尿に含まれる何らかの物質に線虫が反応すること自体は、複数の研究報告があり、事実だといっていいでしょう。科学的には興味深い現象で、基礎研究としては優れていると思います。けれども、線虫によるがん検診は、まだまだ研究途上で十分なエビデンスがあるとは言い難く、がん検診に臨床応用できるようになるまでには長い道のりがあります。
ところが、線虫検査を提供する会社のウェブサイト(※1)では、感度(がん患者を正しくがんと判定する確率)を86.3%、特異度(がんではない被験者を正しくがんではないと判定する確率)を90.8%としています。こう聞くと「いい検査なのに、なぜ一般的ながん検診として広く利用されないのだろう」と思いませんか?
※1 HIROTSUバイオサイエンス|線虫がん検査に関する世界最先端の線虫行動解析技術
感度と特異度が高くてもダメな理由
じつは「感度86.3%、特異度90.8%」という数字は、“two-gate design”といって、「すでにがんと診断された患者集団」と「すでにがんではないことがわかっている健常者集団」という二つの集団を別個に集めた研究から算出されています。いわば実験室内の数字であって、実際の性能よりも過大評価されているのです(※2)。一般集団においても同様の性能を発揮できるとは限りません。
実際の臨床現場での検査の性能を知るには、がん検診を実際に受ける人たちに近い、自覚症状がなくがんであるかどうかがわかっていない一つの集団を対象にした“single-gate design”の研究を行わなければなりませんが、線虫検査に関しては行われていません。信頼できる数字を得るには多くの被験者が必要で、お金も時間もかかるからでしょう。
百歩譲って、線虫検査が実際の臨床においても特異度90.8%を維持できたと仮定しましょう。それでもなお、線虫検査には大きな問題が残ります。がん検診を受ける人のほとんどはがんではありませんが、その人たちの約10%は誤って陽性になってしまいます。そのため線虫検査で陽性になった人の多くは、実際にはがんではないのです。
※2 "Case-control and two-gate designs in diagnostic accuracy studies" September 2005; Clinical Chemistry 51(8):1335-41. DOI:10.1373/clinchem