半世紀前のシリコンバレーは里山・里海だった
里山・里海――あるいはルーラル起業家――とは対極にある存在は何だろうか。一つ挙げるとすれば、「世界のIT(情報技術)首都」と呼ばれるシリコンバレーだろう。アップルやグーグルなど巨大IT企業を擁し、物価高や慢性渋滞など大都市特有の問題も抱え込んでいる。
とはいえ、半世紀前に時計の針を戻せば、シリコンバレーも里山・里海と変わらなかった。ニューヨークなど東海岸の大都会の若者が西海岸の青空と田園風景に魅せられて、現在のシリコンバレーと呼ばれる地域にどっと流れ込んでいた。
歴史家のレスリー・バーリン氏は自著『トラブルメーカーズ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中で「1969年、現在のシリコンバレーはシリコンバレーとさえ呼ばれていなかった。主にプラムとアンズの栽培で知られる農業地帯だった」としたうえで、次のように記している。
〈今でこそシリコンバレーは世界のITハブと見なされているが、1969年当時は違った。主要産業は製造業であり、地元のエレクトロニクス産業で働く人の60%はブルーカラー労働者で占められていた。ハイテク企業はロッキードやGTEシステムズなど防衛関連に限られ、高度な世界的サプライチェーンもまだ築かれていなかった。一方で、年金基金は高リスク・高リターンのスタートアップ企業へ投資できなかった。連邦法で禁じられていたのだ。そもそも起業家は真面目なサラリーマンとして出世できない変人・奇人と思われ、信用されていなかった〉
繰り返しになるが、瀬戸内は造船や鉄鋼など重工業を伝統にしてきた。同時に、風光明媚な瀬戸内海の島々を内包し、ミカンやレモンの一大産地としても知られている。
半世紀前のシリコンバレーはどうだったか。防衛関連産業を主体にすると同時に、プラムとアンズの栽培で知られる農業地帯だった。現在の瀬戸内と何やら似ていないか。