旧統一教会の手法は「一般社会にも見られる」
このような①②③のコントロール下では、自己の認識や判断よりも、再臨主の教えや教団組織の方針を優先するよう、旧統一教会信徒としての人格が形作られている。
もちろん、②は旧統一教会特有の傾向であるが、①③の組織的統制は一般社会でも見られる。
閉鎖性が強く、権威主義的な組織に属していると、自分で考え判断することが悪いという価値観を持たされ、ついには自分で判断するよりも上位者に判断を委ねること自体が善であり、模範的(信仰的ないしは忠実)であると思いこまされる。
戦前の軍隊がそうであったし、現在もこのような組織的統制によって社員に違法すれすれの営業をやらせるような会社がある。
いったん、このような組織に身を投じてしまうと認識の枠組みがいつの間にか変わってしまい、自分で自分の判断を縛ってしまうようになる。
マインド・コントロールとは常に誰かから監視され、遠隔操作されているようなものではなく、自縄自縛の状態なのである。
だから、Aさんが信徒であった間になした旧統一教会への献金も、Aさんを勧誘し、献金を勧めた信徒達の行為も、外形的には自律的行為とみなせるものである。
しかし、そうした行為を真に自律的なものとみなしてよいのかどうか。
どのような経緯でそのような行為が生み出されたのかをも総合的に考察したうえで、私たちは社会的判断、常識的判断を下してよいのではないかと思う。
この点を、Aさんの裁判に関して、再度考察してみよう。