同年のセンバツでは、2試合連続無失点で8強入り。夏の甲子園では済美打線に打ち込まれ、初戦敗退も、ダルビッシュ、涌井とともに大会最速タイの146キロをマーク。米球団のスカウトも「球は間違いなくいい」と高く評価した。

同年のドラフトで広島に1位指名された佐藤は、2年目の06年、1軍先発陣の駒不足からブラウン監督に抜擢され、4月20日の横浜戦でプロ初先発初登板のマウンドに上がった。

だが、初回に相川亮二に3ランを浴びるなど、いきなり5失点。その裏、前田智徳が1点差に迫る満塁アーチで援護してくれたのもつかの間、3回にも村田修一に3ランを浴び、9失点KO。「1軍は甘い球を見逃さない。収穫はあまりない」とプロの厳しさを味わった。

その後は肩、腰などを相次いで痛め、故障との闘いに明け暮れた。

09年オフ、右肘を手術してラストチャンスにかけたが、翌10年は2軍で1試合登板にとどまった。シーズン後に戦力外通告を受けると、「いつまでもダラダラやるより、区切りをつけたほうがいい」(同年12月11日付デイリースポーツ)と引退を決め、広島県内の建設会社に就職した。

1軍登板は前記の横浜戦1試合で終わったが、郷里から両親を呼んで晴れ姿を見てもらったことが「一番の思い出」になったという。

(文・久保田龍雄)

久保田 龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍『プロ野球B級ニュース事件簿2021』(野球文明叢書)。
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