「あずきバー」7500本があっという間に完売
一方会場では、日本食を売る屋台も多く立ち並んだ。現地で活動する多くの日系企業が日本のモノを地元・マレーシアの人々に売り込む良い機会、とあって、これまた日本の夏祭りや神社の参道を思わせるにぎわいとなった。出店した48の企業のうち、井村屋(三重県)が現地生産している「あずきバー」は7500本があっという間に売り切れた。
マレーシアでムスリム向けハラルスイーツの製造・販売を手がける「ふぁん・じゃぱんマレーシア」の五木田貴浩代表は、ハラル大福を1000個以上持ち込んだが、踊りが始まらないうちに完売してしまったという。「ムスリムの方も大勢来られ、当初政府が問題視した“ヒジャブに浴衣姿”の方もたくさんいた」。「これまで実施してきた盆踊り大会そのものだった」と言い、当初の閣僚発言は大会実施になんら影響を及ぼさなかったようだ。
マレーシアの盆踊り大会は、当地の日本人会の主催で1977年に初めて開かれた。当初は、現地に進出した日系企業が工場従業員向けに福利厚生事業の一環として始めたものだが、これを周辺市民にも開放、地元の政治家もこぞって参加するほどポピュラーな「市民の行事」となった。
盆踊りはそもそも、先祖の魂を敬い、迎え入れるお盆に人々が一緒になって踊るものだが、これが「仏教の思想につながる」と感じてしまった閣僚がいたというわけだ。
なぜマレーシアで「日本の盆踊り」が人気に?
マレーシアの巨大イベントとなった日本の盆踊り大会だが、これほどまでに人々を集めた理由はどこにあるのだろうか。筆者は大きく2つの理由があると考える。
一つは、マレーシア政府が日本とのつながりを持つ政策を打ち出して以来、40年に及ぶ歴史があること。もう一つはマレーシアが多民族社会であることだ。
過去からの経緯を辿ってみよう。日本とマレーシアをつなぐカギは40年前にさかのぼる。
90歳を超えてもなお現役政治家として活躍しているマハティール元首相は、最初の首相を務めた40年前、自国の経済発展のモデルに日本をお手本とする「ルック・イースト(東方政策)」を打ち出した。
今年5月に行われた講演で同氏は、ルック・イーストを導入した当時の考えについて、「(日本が第2次世界大戦で敗戦したにもかかわらず)不死鳥のごとく立ち上がるのを目の当たりにし、興奮した」とし、「壊滅的な打撃から自らを再建し、不自由で崩壊した経済を再建していた」と分析。マレーシアの進歩と経済的追求を示すモデルとして日本を見習う必要があった、と述懐した。
こうしたマハティール氏による政策導入に前後し、1970年代から日本の大手電機・電子部品メーカーがマレーシアに製造拠点を開くべく次々と進出。クアラルンプール郊外や同国北部のペナン州などでは今も多くの日系メーカーが操業を行っている。今回の盆踊りもパナソニックが持つ製造拠点の隣接地「コンプレックス・スカン・ネガラ・シャーアラム」で行われた。