独立・企業の前にまず「3年楽しめるか」

――そのあたりは料理と一緒ですね。料理をしてこなかったけど、今や料理研究家。ところで、僕が滝村さんと出会ったころは広報でしたが、デジハリでは、ずっと広報ですか。

学校というところは、いやらしくないように営業のことを広報と呼ぶのですが、事業の規模が大きくなってくるにつれ、営業と一般的な広報の仕事に分かれてきました。例えていうなら「陸軍」と「空軍」に分かれていきます。僕はそのうちの「空軍」、つまり、いわゆる一般的な広報宣伝の仕事をしていくようになります。

――その後、デジハリに14年。パパ料理に目覚めたのはこのデジハリ時代。

そうですね。さっき申し上げたように長女が生まれたきっかけで料理をし始めて、その後2005年1月から、料理内容をブログに書くようになり、それが今につながっています。

――ブログを始めたきっかけはなんだったのでしょう。

ちょうどこのころ、世の中でブログが盛り上がっていまして、デジハリでもオフィシャルブログをやっていこうということになりました。そうなるとまずは自分でやってみないと企画が思いつかない。それならちょうど料理を始めていたので、試しにお父さんの料理というテーマで書こうかな、ということで始めたんです。

ビストロスマップ、クッキングパパ、と連想して、ビストロパパ……?と名付けたのが今の社名になっています。

――そういう始め方をするとイベントが終わってしまうと継続しないのがよくあるケース。滝村さんはその後ずっと書き続けている。

もともとなにかをアウトプットするということが好きだったんだなと、やりながら感じていましたね。コメントなどの反応もありますし、新しいコミュニケーションとして楽しめました。

そして、次女が2006年1月に生まれました。その年の3月18日から毎日一日も休まず書き続けて今年の3月18日で6年になり、記事も全部で2200エントリーくらいになりました。

この「3年楽しめた」というのは、僕が独立起業をするときの大きな背中押しになりました。これは自分の中の踏み絵のようなもので、3年続けてもまだパパ料理について書きたい情熱が消えないなら、これは本物だと思った。

また検索時代になっていましたので、「パパ料理」、で検索すると、僕のブログが一番にでてくるようになりました。世界で一番このジャンルについて熱く語れるのは僕だと思っています。

――素晴らしいね。

ちょっと図を書いて説明したいのですが、


料理研究家の4象限(画像クリックで拡大)

右上の層、料理が大好きな女性は料理だけではなくライフスタイルを提案したい。栗原はるみ先生のような世界観です。けれど実はすべての女性が料理を好きなわけではなくって、メンドクサイっていう人もいる。右下は、できれば料理をしたくない人。ここはみんな手抜きをしたい、ズボラになりたい。ここの層の人は奥園先生のレシピを見る。

それぞれにターゲットのニーズに合わせた料理があるわけです。

では左上を見ていただいて、男性で料理が大好きな人はというと、ここは鉄人の世界です。プロのシェフ、もしくは道具や自分の満足にこだわる趣味料理です。こうみていくと左下の料理をしなくて嫌いな男性はどうか。今までなら外食にいく、もしくは料理が好きか、嫌いだけれどつくってくれる女性に任せていた。まとめると、これまでは料理をしたくない男性はしなくてもよかったんですね。

けれど僕は「料理が嫌いな男性も料理をしないといけない時代ですよ」と考えて、パパ料理をつくったんです。0~18歳までの子どもを持つお父さんの人口は全国に850万人ぐらいだったと思います。このマーケットに対して、なんと僕しか活動していません。

自分で土俵をつくってそこの第一人者を目指した。そのことで、はじめから著名な料理研究家の方と差別化することができ、マガジンハウスから料理本が出せたのだと思います。

ワークライフバランスとかダイバーシティーにもいろんな対策があると思います。その中で僕はそれをパパ料理で解決したいと思ったんです。

(後編に続く)

(柴田励司=聞き手 高野美穂=構成)