戦略ストーリーとは全体の「動き」「流れ」についての構想である。分業は仕方ないにしても、戦略の実行局面では「分業しているけれども分断されてない状態」を保つ。ここにリーダーの本領がある。サブ・コンからトークバックを全開にして全員に指示を飛ばすというスタイルにはまことに味がある。理想的なリーダーの構えである。
戦略づくりは民主主義ではうまくいかない。戦略ストーリーは組織や部署ではなく、特定の人が担うものである。その意味で、戦略ストーリーをつくる立場にある人は丸ごと全部を動かせる「独裁者」である必要がある。
カメラマンが「こっちの方がいいですよ」とか役者が「こうやりたい」などと意見すると、井原は「俺が寝ないで考えて来たことを、その日朝来たやつがなんで言えるんだ」とまた怒る。自分の戦略ストーリーに対するオーナーシップが強烈で、「人のものならいざ知らず、僕のものを僕が創るっていう次元においては、僕の頭がいちばんいい」と言い切ってしまう。「カメラマンがそこでいい絵づくりを思いついたとしても、その人はワンカットだけいい絵をつくってるのであって、全体の流れで考えてるわけじゃない」。だから、自分の意見のほうが絶対優先されるべきだというのである。
戦略全体の合理性は、部分の合理性の単純合計ではない。これが『ストーリーとしての競争戦略』の中核となる主張である。部分は全体の文脈のなかに置いて初めて意味を持つ。これが戦略をストーリーとして考えるということの本領なのだが、井原はまさにこのことを実行していたわけである。
(後編につづく)