まずはテメエがその気になる

R&Bキングのジェームズ・ブラウンは「出だし1発目の音がすべて」と言い切っている。井原も同じである。仕事への入り方がいい。何でも「格好から入る」。これが彼のスタイルである。

黎明期のテレビ局では、ヘッドホンといえば電話機の交換手が使っているものと大差ない粗末なものだった。井原はそれが嫌でドイツのシーメンス製のすごいのを買ってきたり、NASAで人工衛星の乗務員が使っているものを手に入れてくる。また、職場の仲間で意味もなく何着もユニフォームをつくる。それが背中にまでポケットのついたジャンパーだったり、オリンピックのブレザーみたいなものだったりと凝りに凝っていた。「格好をつける」ためなら金も手間も惜しまない。

なぜそこまでするのかというと、仕事は「まずはテメエがその気にならないと駄目だから」。これが井原に一貫した論理である。『ストーリーとしての競争戦略』でももっとも言いたかったことなのだが、優れた戦略ストーリーの絶対の条件は、話している本人が「面白がっている」ことである。自分で心底面白くなければ、人がついてくるわけがない。ましてや顧客が食いつくわけがない。当然過ぎるほど当たり前の話だが、「まずはテメエがその気になる」という原則は現実の仕事の局面ではわりとないがしろされがちだ。井原は自分が面白いと思うことに徹底的にこだわる人だった。

その一方で、「アーティスト」に典型的にみられることなのだが、自分の好きなこと、面白いと思うことにこだわる人ほど顧客の視点を見失いがちで、結局のところ商売にならないことが少なくない。趣味と仕事は違う。趣味は自分一人が楽しめればよいが、仕事は価値の受け手である顧客がなければ成り立たない。自分がその気になって楽しくやらないと始まらないが、自分が楽しいだけで終わったら、ただの趣味である。その点、井原は自分自身の面白さにこだわりつつ、あくまでも「お客が実際に観て喜んでナンボ」という商売に執着する。