歴史上の偉人も生きている時は“凡人”だった

【本郷】そうですね。逆に、いまは自己肯定感を持てない人が残した何かが100年後に立派な花を咲かせているかもしれない。

【深井】孔子やイエス・キリストもそうでしたからね。いまだに世界的な影響力をあたえ続ける2人には、生きている間には何も成し遂げられなかったという共通点がありました。

政治家だった孔子ですが、政争に巻き込まれ、失脚して長い逃亡生活を送りました。その途中、殺されかけ、満足に食事もできない時期もあり、絶望の中で生涯を終えたと考えていいでしょう。

対談する深井さんと本郷教授
撮影=遠藤素子
対談する深井さんと本郷教授

またイエスの生涯を端的に語れば、弟子に裏切られた、元大工の政治犯ということになります。いまのビジネスの感覚で2人の人生を判断すれば、失敗と言えるかもしれません。歴史上の偉人であっても生きている間は凡人だったのです。

でも彼らの死後、『新約聖書』と『論語』が書かれ、いまも世界中の人たちに読み継がれています。評価されたのは死後だったのです。

ただし、キリスト教や儒教は陰惨な結果ももたらしました。キリスト教の影響で、15世紀から18世紀にかけて、推定で4万人から6万人が魔女として殺害されました。

また孔子を祖とする儒教によって確立された官僚制と中央集権システムは、中国の自由市場経済と科学技術の発展を遅れさせた元凶となります。その結果、中国大陸は19世紀にヨーロッパ各国に植民地化されてしまいます。

長いスパンで見ることで、はじめて多様な視点や角度からの評価が可能になると思います。いま起きている出来事を現代の価値基準だけではかっても、消費されるだけで、聞き手にとって大した意味はないのかもしれません。

材料を組み合わせることで得られる歴史の学び

【本郷】歴史学者の役割の1つに歴史資料の収集、分析があります。それが、歴史を学び考える材料になる。問題は、材料をどう組み合わせるか。

その組み合わせには、その人なりの考えが必ず介在します。私は、材料の組み合わせを考える行為こそが、歴史を学び考えることなのだと思っています。そこには、歴史を専門に研究するかしないかは関係ありません。誰もが、歴史を考えることができる。

その点を踏まえて言えば、深井さんに歴史資料A、B、Cという素材をわたせば、歴史学者とは違った、独自の組み合わせで、立派なお城をつくってくれる。先ほど話したYouTuberとは、まったく違う視点で歴史を受け止めている。