なぜ、祖母は虐待に気づきながら何も言わなかったのか
祖母はしばしば自分の娘(緑川さんの母親)に対し、「なんであんなふうになっちゃったのかしら」とこぼすことがあるというが、目の前に娘がいると萎縮してしまい、強く言うことはない。
しかし祖母は、母親たちが旅行へ行くとき以外でも、母親や継父に隠れるようにして緑川さんに会い、「好きなものを食べなさい」と言って時々お小遣いを握らせてくれていたという。
虐待の事実を知らない人が、そんなことをするだろうか。筆者は疑問に思った。祖母はきっと、虐待について薄々気付いていたが、自分の経験上、娘(緑川さんの母親)の継父に対する立場も理解でき、孫を守りたい一方で娘に強く出られず、手をこまねいていたのではないかと想像する。
中学3年生(14歳)になると、緑川さんは日々の虐待に耐えかね、家出を決意。深夜にこっそり家を抜け出し、近所にあった山の中で夜を明かす。
緑川さんが通う中学校は遠かったため、母親の都合で早く帰らなければならないときは、「バスで帰ってこい」と言われ、母親からバス代をもらっていた。そのおつりをコツコツ貯めていたのと、時々祖母からもらっていたお小遣いでパンや飲み物を買ったが、2日で尽きてしまう。3日目の夜、空腹に耐えられなくなった緑川さんは、家に帰るしかなかった。
玄関を開けると、出迎えた母親は泣いていた。学校や警察に連絡したらしく、「家出は周りに迷惑かけるからダメよ。学校にも連絡したから先生に謝りなさい」と言われた。継父も心配した様子で、しばらくは虐待がなかった。だが、約3日後にはすっかり元通りだった。(以下、後編へ続く)