まるで家政婦のように家事を強制された10代

11歳(小5)になっていた緑川さんは、いつしか自分のことだけでなく、料理以外の家族全員の家事全てを押し付けられるようになっていた。

こと教育に関しては熱心だった母親は、元夫との生活は経済的に厳しいものがあったが、おそらく入学前から交際していた継父の援助を得て、緑川さんを私立の小学校へ通わせていた。そのためクラスメイトたちは、塾や習い事に忙しい。だが緑川さんは、授業が終わったら即帰宅して、買い出しや洗濯などの家事をしなければならなかった。塾や習い事のないクラスメイトと話したり、遊んだりしてから帰ることは許されなかった。

バスケットのランドリーを白背景
写真=iStock.com/DNY59
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なぜなら母親は、毎週月曜日に担任に電話をし、毎日の授業終了時間を把握していたからだ。だが、担任の先生からは、「すごいお母さんだね」と言われただけだった。

緑川さんは中学受験をし、私立小学校卒業後は、私立中学に進学。

「妹ができるまで母は、夜中までつきっきりで勉強を見てくれるほど教育熱心な人でした。教育虐待と言われたらそうかもしれませんが、それでも、当時の私は幸せでした」

ところが、なんと母親は入学してたった1カ月で、掌を返すように中学を退学させ、有無を言わさず、公立の中学校へ転校させた。緑川さんが理由を問うと、「お前に使うお金がもったいないから」。

同じ年、母親は突然、「親権を実の父親へ変更する」と言い出す。理由は、「こんな奴は自分の子どもじゃないから」。

実の父親と緑川さんは、母親が時々電話しているときに、少し代わってもらって話す程度だった。

14歳(中学2年)になったばかりのある日、緑川さんは、よく状況が飲み込めないまま、家庭裁判所へ同行させられた。親権の移行は緑川さんの目の前で、「合意の上で親権を移行する」という体で行われ、とても「合意してない」とは言えない状況だったという。

「実の父は、私に暴力を振るうことはありませんでしたが、とにかく自由人。当時は私が虐待されていることを知らなかったし、私を引き取るという考えは全くなかったのでしょう。父のことは恨んでいません」