病室を「家のように安らぐ場所」とするのは難しい
前出の吉野清美さんからは「『病院が臭い』といって在宅を選んだ患者さんもいる」と教えてもらった。
「その方は70代男性で、大腸がんを発症し、肝臓にも転移している状態でした。ストーマ(人工膀胱:手術によっておなかに作られる便や尿の排泄口)があって入院していたのですが、時々おなかが痛くなってトイレにこもりたい時に、ゆっくりいられないと訴えていました。2時間くらいトイレにいると、看護師さんが心配して来る。ありがたい反面、自分のペースで過ごすことができない、そして病院は臭い、と。一人暮らしだったのですが退院して家で過ごすことを選びました」
本連載第1回に登場した訪問看護師の小畑雅子さんは、「家での死」と「病院での死」の違いをこう話す。
「一言でいうなら、『病院での死』は主体が医療者であって、治療もケアも医師や看護師主導です。病室は家とは違い、患者さんにとって“安らぐ場所”になるのが難しいです。一方で『家での死』は医療介入はありますが、主体は患者さんとご家族で、人生を完結させるという違いがあります。人生の振り返りやこれからの希望について話す機会も多くあって、ご家族も介護の中で徐々に死別を受け入れ、最期は落ち着いて看取りをされた方もたくさんいました」
患者や家族が最後に何をしたいのか。一日でも長く生きたいなら、つらくても安らげなくても病院で治療を受けるのもいい。けれども、“望み”は家で過ごしたほうが叶いやすい。
「私はもう一生、何も食べられないんですか?」
訪問看護師の宮本直子さんが受け持った80代男性の最後の日々が印象的だ。過去に所長を務めていた職場で出会ったという。
「認知症を患ったおじいちゃんだったのですが、転んで大腿骨の骨折をして寝たきりになってしまいました。独身だったので面倒みてくれる人がいなくて……。親戚は時々尋ねてくる姪っ子さんぐらい。でも本人や姪っ子さんの希望で、家で過ごすことにしたんです」
だがしばらくしてその男性は認知症、骨折に加えて、誤嚥性肺炎も発症してしまった。点滴で栄養を補給し、ゼリーのみOKという、ほぼ絶飲食の状態に。
男性の88歳の誕生日、宮本さんが訪問すると、普段ははっきり話さない彼が驚くほどしっかりこう言った。
「私はもう一生、何も食べられないんですか?」
宮本さんは内心男性の変貌ぶりに驚きつつ「何が食べたいの?」と穏やかに尋ねた。
「……寿司が食べたい」