今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で繰り返し描かれることになる鶴岡八幡宮には知られざる歴史がある。歴史評論家の香原斗志さんは「鶴岡八幡宮はかつて神仏習合の寺だった。頼朝や義時が武運を祈ったのは神ではなかった。しかし、明治政府の廃仏毀釈で、仏塔などはすべて壊されてしまった」という——。
鶴岡八幡宮は、かつて鶴岡八幡宮“寺”だった
鎌倉の鶴岡八幡宮は例年、およそ250万人もの人が初詣に押し寄せる。昨年は新型コロナウイルスの影響で少なかったが、携帯電話の位置情報を分析するAgoop社によれば、今年は元旦に訪れた人の数が対昨年比でほぼ2倍だったという。
もちろん、今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響もあるだろう。鎌倉幕府とともに始まって、源頼朝はもとより、主人公の北条義時をはじめ多くの武士たちから厚く信仰されてきた鶴岡八幡宮は、鎌倉の武家社会の拠り所だった。まさに大河ドラマの舞台そのものだ。
参拝者たちは正面参道の大石段を登り、重要文化財に指定されている本宮(上宮)の楼門を仰ぎ、黒字に金の文字で「八幡宮」と書かれた扁額を目にして、遠い鎌倉殿の世に思いを馳せたことだろう。
この文字は京都の曼殊院の門跡、良恕入道親王(1574〜1643)の書だという。良恕は後陽成天皇の弟とはいえ、仏道に進んだ僧侶。神社の扁額をなぜ僧侶に書かせたのだろうか。
実は、扁額のもとになった良恕の書には元来、「八幡宮寺」と4文字が記されていた。つまり鶴岡八幡宮は、かつては「鶴岡八幡宮寺」という寺だったのである。