禁欲的過ぎて、街の富裕層から疎まれる
その後、ゴッホは聖職者を目指して神学部受験のための勉強をしましたが根気が続かず、父に叱責されて萎縮する一方、貧困層のための伝道者になることを考えました(その方が進学・資格取得が楽なため)。
そして実際、ラーケンの伝道師養成学校で3カ月間の試行期間を過ごしますが、それ以上続けるのは生活費の目途を立てねばならないとして中断。この時はその熱意が認められ、1879年1月から半年間の伝道師仮免許と月給50フランを与えられてベルギー国内の炭鉱地帯での伝道に従事しました。
ゴッホは熱心に説教し、病人や怪我人にも献身的に奉仕しました。しかしその禁欲的過ぎる態度は街の富裕層から疎まれ、また炭鉱労働者も労働運動に惹かれていたため、布教の効果が上がりませんでした。仮免許は更新されず、ゴッホの伝道者への道は断たれます。
その後のゴッホは、父からの仕送りに頼り、その後は弟テオに頼る生活が続くことになります。ちなみにテオはグーピル商会の仕事を続け1881年にはモンマルトル通りの店を任されるようになります。
生活苦、繰り返される奇妙な恋愛
ゴッホはその後も生活費を稼げぬまま、奇妙な恋愛を繰り返しました。三度目は失業して家に戻っていた頃の出来事です。今度の相手はケー・フォス・ストリッケルという名の従姉です。
しかし彼女はゴッホの7歳年上で、既に息子もいる未亡人。おまけにゴッホの悪評は親戚中に知られており拒絶されました。こういう時は行動力があるゴッホは、テオに金を借りてケーの家を訪ねました。しかし彼女の両親から叱責され、家に入れてもらえませんでした。
この時ゴッホは「私がランプの炎に手を当てていられる間だけでいいから会わせてほしい」と懇願しましたが、そんなアブナイ思考をする人間に娘を会わせるはずもなく、罵倒されて追い返されました。もちろん父もカンカンでゴッホと激しい言い争いになりました。
ちなみにケーの父も牧師で、二人の牧師から激しく罵倒されたことで、ゴッホは聖職者全体に不信感を持つようになったといわれます。もちろん、この件で悪いのはゴッホの方でしょう。
家に居づらくなった彼は、写実派の画家アントン・モーヴを頼ってハーグに向かいました。ここでまた恋愛騒動を引き起こします。街で出会った女性に惚れてしまうのです。彼女はシーン・マリア・ホールニケといい、なんと妊娠している娼婦でした。しかも彼女には既に娘もいた。
ゴッホは極貧の彼女のために家賃や食事を負担します。でもその金は、すべてテオからの仕送りです。自立していないのに貢ぐ。そんな状態にも相手の品性にも嫌悪を感じたモーヴは、ゴッホと距離を置くようになりました。ゴッホはシーンをモデルに絵を描きましたが、粗い写実的画風の暗い絵が多く、生活の辛さが滲み出ている感じです。
それでも結婚を真剣に考えたゴッホは、家族の反対に耳を貸さず、同棲をはじめました。その生活は18カ月で破綻しました。貧困に加えて、自分の芸術を彼女が全く理解しないことが不満だったのです。もっとも女性側としては、働かないで売れない絵を描くだけの男を、理解のしようがなかったでしょう。