哲学者のカントは教え子に「美貌の女よりも金持ちで持参金が多い女を妻にするといい」とアドバイスしていたという。しかし、カント自身は生涯独身だった。評論家の長山靖生氏は「カントの規則正しい生活には女性が入り込む余地がなかった。それだけ学問に執着していた」という――。
※本稿は、長山靖生『独身偉人伝』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
独身主義ではなく、生涯独身を貫いた理由
哲学者のイマヌエル・カント(1724~1804)も生涯独身でした。カントは東プロイセンの首都ケーニヒスベルクに、馬具職人家庭の長男として生まれています。こうした身分の者が、哲学という金に結びつかない学問をすることがいかに困難かは、容易に想像できるでしょう。
両親は信心深いルター派敬虔主義者で、カントも同派の学校を経てケーニヒスベルク大学に進み、初めはニュートンやライプニッツの自然学を研究しました。しかし1746年に父が亡くなり、学費が続かなくなります。カントには世襲財産と呼べるものはありませんでした。
卒業論文を提出した後は、家庭教師をかけ持ちしながら苦学を続ける生活に入りました。それがおよそ7年間。若い頃のカントは、常に経済的困窮にあえいでいるような状態でした。
しかし金のための労働ではなく、また聖職者として特定の宗派の中で思索するポジションも選ばず、あくまで自由な立場から道徳哲学を探求しようと努めました。
カントは生涯独身だった理由を、特に説明しておらず、独身主義を唱えていたわけでもありません。そもそも彼の苦学生活は、とうてい結婚を考える余裕があるものではなく、また自然学から倫理学、哲学、地理学と幅広い分野に関心を抱いていたので、女性に積極的な態度をとることもなかったといわれています。