「破滅的なゴッホとの結婚は無理がある」

シーンと別れたゴッホは、1883年に実家に戻り、家族との関係がやや好転しましたが、相変わらず絵は売れません。他の仕事にも就きません。しかしやはり恋だけはして、隣人で12歳年上のマルガレータと恋仲になりました。

しかし彼女はゴッホ同様、精神的に不安定なところがあり、悪い噂が立ったのを苦にして自殺未遂を引き起こします。一命はとりとめたものの、その事件をきっかけに二人の関係は終息しました。

その後もゴッホは、テオから経済援助を受けながら絵を描き続け、さすがにそれには打ち込みますが、相変わらず売れないままでした。1885年には絵のモデルをしていたホルディナ・ドゥ・フロートが妊娠していることが発覚し、ゴッホが父親なのではないかとの噂が立ちました。

なお彼女を描いた作品には、写実的ながら醜さと紙一重のデロリとしたリアルさがあり、「ああ岸田劉生が好きそうだな」と感じる、ちょっと「麗子像」を連想させるものがあります。

Vincent van Gogh「ジャガイモを食べる人々」オランダ・ヌエネン市にて(写真=Catalogues raisonnés/Works by Van Gogh by Faille number/Wikimedia Commons)
Vincent van Gogh「ジャガイモを食べる人々」オランダ・ヌエネン市にて(写真=Catalogues raisonnés/Works by Van Gogh by Faille number/Wikimedia Commons

翌86年にゴッホは、弟テオがいたパリに出ました。そしてここでも早速、カフェ・タンブランの女主人アゴスティーナに恋をしました。彼女はコローやドラクロワ、マネなどのモデルも務めたことがある、芸術に理解の深い女性でした。

二人は一時付き合ったようですが、ゴッホがプロポーズすると、カフェの店員や友人が反対し、彼女も生活力がなく破滅的なゴッホとの結婚は無理があると思い、二人の仲は終わりをつげます。

自分の「好き」にハマったゴッホ流

このパリ時代に、ゴッホは浮世絵に刺激されて作風を大きく転換させています。アゴスティーナを描いた絵には大胆なデフォルメが見られ、背景に浮世絵の模写も現れ“ゴッホらしさ”が明確になってきました。

その後、さらにアルルに転じて強い日差しの下での色彩のきらめきを掴んだゴッホは、芸術家との共同生活という理想を求めてゴーギャンをアルルに招きます(この時期は兄を心配したテオもゴーギャンに頼み、ゴーギャンを迎えるための費用を兄に送っています)。

一面に咲くひまわり
写真=iStock.com/ChiccoDodiFC
※写真はイメージです

しかしゴーギャンに絵を批評されて苛立った挙句、自分の耳を切り落とす……などいろいろ奇行もあるのですが、それらすべてを書いていたらページがいくらあっても足りません。

絵画でも女性でも、ゴッホは好きとなったら社会常識や周囲の思惑など考慮せずに、自分の「好き」にハマってしまいました。そのどちらにおいても極端なのが、ゴッホ流なのかもしれません。芸術でも恋でも、周囲に迷惑をかけてしまうことも含めて。

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