※本稿は、武田真治『上には上がいる。中には自分しかいない。』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
努力はいつかきっと日の目を見る
もしあなたに、大好きで人知れず続けていることがあるなら、僕はあえて言いたい。
「それは、いつか日の目を見るよ」って。
僕は『めちゃイケ』というバラエティ番組に関わっていたにもかかわらず、バッターボックスには年に何回くらい立てていただろう。毎週どちらかというと、ベンチに近い立ち位置。たまにバッターボックスに立たせてもらったときには、ありがたいことにヒットやホームランが打てるように共演者や編集に助けてもらっていたんだと思います。
少し前にイチローさんの動画を観ていたら、「努力は報われますか?」という質問に「報われるとは限らない」とはっきり答えていました。
そりゃ、メジャーリーグで10年連続200本安打を打っている人からしたら、努力が必ずしも叶うとは限らないと言うべきでしょう。願いのレベルが高すぎるのです。
なにを目標に設定するかによると思うけれど、僕レベルでは、「願いは叶う」と言いたい。「報われない努力はない」と言いたいんです。
体調を崩し、「強靭な肉体が欲しい」と思って努力した結果、かつての痩せ細った中性的なフェミ男が、いまやベンチプレスで‟TEPPEN”を取れていたりするんです。遅咲きのセカンドブレイクの機会を得たりするんです。
願うところから始めましょう。そうしてコツコツと積み重ねた努力は、いつか必ず日の目を見るべきなんです。
僕が「みんな、もっと偏れ!」と言うワケ
僕自身の30代で、無駄骨だ、空回りだと思っていたことも、その後の人生できちんと回収されていたりします。
もっと要領よくできなかったのかとも思うけれど、要領がいいように見える人というのは、実はそれ以前に人よりもちゃんと努力していて、その努力した経験がちょっとした「時短」を生んでいるくらいで、要領というものは本来ないのかもしれないと今は思っています。
結局、どんな面倒なことも真正面から受け止め、自分でやっていくしかないんです。
僕は「みんな、もっと偏れ!」と言いたい。
なぜなら僕の場合、サックスと筋トレが好きだと偏り続けた結果が今なのです。
サックスや筋トレは、僕なんかのレベルでも習得するのに数年単位の時間を要します。今日思い立った人が、明日にでもなれる「キャラ」ではありません。そういった特性は市場の規模にかかわらず、個性となり得るのかなと思います。
逆に、特性を伴わない個性は、すぐにでも真似され、誰かに取って代わられます。
個性的でいたいなら、まず自分の特性を伸ばすべきではないでしょうか。