第二次世界大戦後、日本はアメリカから多くの食物を輸入してきた。京都橘大学の平賀緑准教授は「特にトウモロコシは日本人の食生活に深く入り込んでいる。そこには、食糧援助だけでなく、日本人の胃袋をもっと消費する形に変える、という目的があった」という——。

※本稿は、平賀緑『食べものから学ぶ世界史』(岩波ジュニア新書)の一部を再編集したものです。

日本食
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです

大量生産+大量消費による経済成長

第二次世界大戦後、多くの先進資本主義諸国はケインズ主義的な経済政策を採用し、政府が経済に介入しながら、米国を筆頭に先進諸国は「資本主義の黄金時代」を迎え、右肩上がりの経済成長を実現しました。1945年に敗戦した日本は、その10年後、1955年から「高度経済成長期」に突入します。

市場の自由に任せきりでは上手くいかないことを世界恐慌から学び、「大きな政府」が積極的に経済に介入し、農業や国内産業を護り、生産や貿易などにおいて保護や規制を設定しつつ、労働者も保護し、財政や金融政策によって景気の波を調整しました。

景気を安定させ、完全雇用を目指し、労働組合など労働条件も整え、所得を平等化するなど、資本主義経済でありながら福祉国家的な要素も含んだ混合経済の時代でした。また、鉄道や郵便など重要な産業分野は、日本でいえば日本国有鉄道(国鉄)、日本電信電話公社、日本郵政公社など、公的な企業体が率いていました(現在では民営化されて、それぞれ、JR、NTT、日本郵政グループになっています)。

ある程度まじめに働けばまともに暮らせる賃金を得て、工業部門が生産したいろんな新製品を購入することができて、その消費がさらなる経済成長を支える、そんな大量生産+大量消費によって、経済成長した時代でした。

海外市場を拡大し、消費を増やす

この時代、農業・食料部門でも、大量生産と大量消費が押し進められました。農業は工業化・大規模化され、農薬や化学肥料、農業機械を使った大量生産になりました。

かつては、農民が自ら種を採り、人力や畜力で耕し、有機的な肥料などを循環させることによって土を育てるなど、農業とは自立的な営みでした。それがこの頃には、工業部門が石油などから製造した農薬や化学肥料などの農業資材を農家が購入して、大規模に生産した商品作物を食品製造業など他の工業部門の原材料として出荷するようになりました。

つまり、農業も資本主義経済へ取り込まれたといえます(専門的には資本による農業の包摂といわれています)。政府も、戦時中の飢餓の記憶から農業生産を支援したり、多額の補助金をつぎ込んで自国の農業の大量生産体制を推進したりしました。

資本主義の常として、食料も「商品」として大量生産したら、大量に販売するため市場を確保する必要があります。でも、食料の販売量(=消費量)を増やそうとしても、人間の胃袋には限界があります。そこで、ひとつには海外まで農産物の市場を拡大すること、もうひとつには新商品を開発してもっとたくさん消費してもらうことが図られました。