もちろん、全てを導入することはできません。導入にはコストもかかるでしょうし、社会制度が異なるため、単純にベスト・プラクティスを導入すれば上手く機能するとは限りません。しかし、真似できるところは、真似すれば良いわけです。

明治日本は「お雇い外国人」に学んだ

実際に、日本は幕末から明治にかけて、アメリカやヨーロッパから先進的な知識や技術を導入するために、海外から専門家を招聘しょうへいしました。「お雇い外国人」です。彼らから、海外のベスト・プラクティスを学び、それを国産技術として磨いていったのです。

クラークの銅像
※写真はイメージです(写真=iStock.com/g_jee)

しかし、多くの国や企業はそれができないのです。パレンテとプレスコットらは、生産性をベスト・プラクティスと同じような水準にまで上げられないとすれば、それはベスト・プラクティスを取り入れることに対する内部の抵抗があるからだと主張しています。

ベスト・プラクティスを導入すれば、当然、ある職能が不要になったり、その重要性が小さくなったりします。そのような場合、ベスト・プラクティスの導入に反対する人が出てきます。イノベーションに対する抵抗勢力です。

抵抗は、さまざまなかたちをとります。例えば、政府の規制による保護を訴えるものもあるでしょうし、ラッダイト運動(※)のように暴力的なものもあるかもしれません。ストライキもあるでしょう。あるいは、サボタージュのような組織の中での静かな抵抗もあります。

※1810年代、産業革命期イギリスの中部・北部の、織物・編物工業地帯に起こった機械破壊運動

もちろん、それまでに社員がやってきた職務がなくなったとしても、経営者がより高い収益性が見込まれるビジネス機会にきちんと投資していて、そのビジネス機会を追求するのに必要な能力を各人が持っていたとすれば、社内での異動などができますから、それほど反対は大きくならないでしょう。

イノベーションを阻害する人が経済をダメにする

しかし、そういう場合ばかりではありません。経営者が次のビジネス機会を見定められないようなこともあるでしょうし、社内の人員の適応能力に課題があることもあります。そのような場合に、既得権益者は、ベスト・プラクティスの導入に強く反対するでしょう。自分たちの仕事がなくなってしまうかもしれないからです。

たとえば、鉄道会社が電車の切符を切る職務を保護するために、自動改札を導入しなかったらどうでしょう。銀行がATMや人工知能などを一切導入せずに、全て窓口で人が対応したとしたらどうでしょうか。