野球選手をクビになって、残されたのは銀行マンの道
銀行では枚方支店、瓢箪山支店、野田支店に配属された。いわゆる外回りで個人も法人も区別なく営業した。新規出店の瓢箪山では開発準備員に選ばれ、立ち上げから参加。ゼロからの新規開拓の日々でやりがいがあった。
今でも付き合いのある当時からの顧客がいるという。人と接するのが嫌ではなく、相手の懐に入るのがうまかったのかもしれない、と自己分析する。「個人預金」「融資」「ローン」などの部門で上期と下期の年に2回、グラフで張り出され表彰された。
黒木はいつも全国10位あたりの優秀な銀行員に変貌した。だが、本人はどこか釈然としなかったという。ワクワクしながら仕事をできていない自分がいた。それはここで自分が打てばチームは勝つ、というバッターボックスの緊張感や、全国制覇の高揚感を知っていたからかもしれない。
入行して数年経った30歳手前、バンカー人生の先も見えてしまった気がした。たとえ成功してもサラリーは決まっている。課長、副支店長、支店長と昇進できても、年齢がくれば出向されるだろう。規定通りに定年して年金生活入り。地道に勤め上げて、家族を養う。そんな平凡な人生こそ幸せという人もいるが、どこかしっくりこなかった。
「このままでは定年した時、僕は『この人生はなんなんやろ』と振り返ってしまうと思ったんです」
そう考えた背景にはKKの存在もある。彼らのニュースは日々嫌でも耳に入ってくる。同期としてうれしい半面、なにくそという気持ちが沸いてきたのも事実だ。
「彼らと食事に行ったりして、近況報告していると、こんなに差がついてんのかと思わされることばかりで。車も家も、持っているものが違う。なんか居心地が悪かった(笑)。人生にリベンジをかけたくなったんです」
KKが眠っていた反骨精神に火をつけた。そこに、プルデンシャル生命が転職の誘いをしてくれた。大学も社会人も、野球は中途半端だった。野球の借りを金融の仕事でやり返す。それも悪くないと思ったのだ。