法政大学と大和銀行で味わったことのない大きな挫折を2度も
「甲子園では通算100打席ほど立っています。これ、かなり多いんですよ。でも、法政では東京六大学の公式戦で1度も試合に出場していません。(リーグ戦ではない)春の新人戦で3打席立ったのみ。暗黒の4年間でした」
このまま不完全燃焼で野球人生を終わらせたくない。監督がPL時代のコーチだった縁もあり、大和銀行(現りそな銀行)で社会人野球を続けることにした。ほかの社会人の強豪チームでプレーし、PLの同期たちのようにプロ入りを模索する手もあっただろうが、黒木にはある思いがあった。
「何より大学でレギュラーでもない自分を誘ってもらったことがありがたかったです。それに両親への罪滅ぼしもしたかった。『神宮に野球を見に行くねん』と言ってくれていたのに、1回も出られず、学費だけ出してもらって。本当に申し訳なかったです。だから、銀行だったら安心してくれるだろうと思いました」
「明日から仕事しろ」「お前は犠牲になってくれ」
しかし、理想通りにはいかない。社会人チームで黒木は2度目の挫折を味わうことになる。4年目の26歳のときのことだ。3番バッターでキャプテン、選手として脂が乗っていたのに突然、チームから引退勧告される。
「『明日から仕事しろ』と言われたんです。自分より実績のない選手が現役を続ける。『なんで俺やねん』。愕然としました」
監督に直談判すると「高卒の選手を育てて、プロに入れないといけない。お前は犠牲になってくれ。俺もつらい」と逆になだめられたでも、これがサラリーマンか。小学生時代から約20年やってきた野球人生にピリオドを打たされた。とても納得いかないが銀行マンに専念するしか生きる道は残されてなかった。