そもそも出発点から現実的ではなかった
あらゆる人が活動の8割だの9割だのを止めるなどというとんでもない話を、強制力もないお願いだけで実現できると考えること自体が、そもそもまちがっている。お願いベースで可能なのは、8割の人に対する8割削減を10日とか、あるいは半分の人に対する2割削減を1年とか、そんなものでしょう。前回の冒頭で、国民へのお願いは医療のオマケだ、と述べた。そのオマケが、軍事政権の戒厳令下でもなかなか実現できない水準の代物となればなおのこと。ぼくは、そもそもの出発点が現実的ではなかったし、それを長期に追求するのが無謀ではあったと思う。
にもかかわらず、日本の一般人たちはそれに応えてきた。それをはるかに上回る行動制約を自主的にやってきた。おかげで世界的に、ものすごく感染率も低く、死者数も少ない。台湾やニュージーランドと比べれば、という話は必ず出る。でも世界平均や欧米先進国に比べたら、信じられない水準だ。それが何のおかげかは、諸説あるけれど、でも人びとの行動制約が大きく効いたのはまちがいない。日本は、強権的な制約は避け、ゆるいお願いと脅しでコロナをそれなりに抑え、まあまあ経済も維持してきた。それは評価すべきではある。でも、それをいま、もっときつくしろというのは、このかなり微妙なバランスを崩せと要求するに等しい。これまた、現実的なことなんだろうか?
ワクチンでもコロナ禍が終わらない可能性
ワクチンが登場したときには僕も含め、大きな安堵と希望を感じた――(ついでながらアメリカは、ワクチンの下準備をしてくれたトランプ政権には本当に感謝すべきだと思う。彼は本当に多次元的にバカで問題の多い大統領ではあった。でもワクチンの早期開発と手配だけはきちんとやった。それは評価してほめてあげるべきだ)。これぞ本道の医療的な解決策。そして菅総理大臣と現政権は、そのワクチンをいちはやく確保した。注射する人がいない無理だ無謀だと脚を引っ張ろうとした勢力を蹴倒して、一日100万回の目標をすぐに実現するだけの政治力を発揮した。これは本当にすばらしい成果だ。
ところが……だんだんワクチンも効きが薄れるとか、やっぱり接種率が8~9割まであがらないと拡大は防げないとか、だんだん能書きが後退してきたのは否定しがたい。その一方でデルタ株は勢いを増しているし、ラムダ株だカッパ株だゼータ株だと次々に新種が登場しかねない状況だ。ワクチン接種は効きそうだけれど、決定的にこの状況を終わらせるには至らないのではないか、というのはみんな思い始めている。