頑張ることは大切だ。では、頑張れなかったり、怠けてしまったりする人は見捨てられても仕方ないのか。立命館大学産業社会学部の宮口幸治教授は「こうした人は、誰からも応援されず社会で放置されている。『そもそも頑張れない人たち』にこそ支援が必要だ」と指摘する――。

※本稿は、宮口幸治『どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

悲しみ
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頑張れない人は、どうすれば?

「頑張ったら支援します」

ある会社の社長が元受刑者にそんな言葉をかけているのをテレビ番組で見たことがあります。かつて罪を犯した人たちの出所後の生活や雇用の世話をしているそうです。とても素晴らしい取り組みで、頭が下がる思いでした。元受刑者の方々もチャンスを与えてもらって生き生きと頑張っている様子でした。

しかし同時に私の脳裏には別のことも浮かんでいました。

“彼らがもし頑張れなかったらどうなるのだろうか?”

“頑張ろうとしても頑張れない人たち、どうしても怠けてしまう人たちはどうなるのだろうか?”

この疑問は『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)を書いた頃からずっとありました。一般的には、頑張らず怠けてしまったら仕事をクビになります。つまり、怠けず頑張らないと支援が受けられなくなるのが普通です。しかし、クビになったら生活に困って再犯してしまう可能性が高まります。

もちろん元受刑者の方が頑張れなくてもその社長がすぐにクビにするようなことはないとは思いますが、“そもそも頑張れない人たち、怠けてしまう人たちにこそ、本当は支援が必要ではないか”と考えずにはいられませんでした。

ケーキの切れない少年たちも同じだった

学校や家庭でも同じようなことがあります。みなさんも親や先生から「頑張ればきっと報われる」と言われたことがあるかも知れませんが、一方で、“もし頑張れなかったらどうなるのか、そもそも頑張れない子どもはどうなるのか”については、未だ明確な答えを聞いたことがありません。概して現在の社会では頑張らないと報われないのです。私がこれまで出会ってきた、ケーキの切れない非行少年たちは、まさに“頑張ってもできない”“頑張ることができない”少年たちでした。

これは病院の児童精神科外来でも同じでした。発達障害などがある子どもは、病院に来れば適切な支援につながる可能性があります。しかし、本当の意味で支援の必要な子どもたちは、そもそも病院の外来などには来なかったのです。支援してくれる人がおらず、誰も連れてきてくれないので、病院には来ることができないのです。

同じような問題は他にもあります。子どもを虐待する親が現在、大きな社会問題となっています。それを踏まえ、地域で子育てセミナーなどが開催され、若い母親が小さな子を連れて笑顔で参加したりしています。それ自体は大切な取り組みです。