なぜヤクザは組同士で抗争をするのか。暴力団の取材経験が豊富な溝口敦さんと鈴木智彦さんは「ヤクザの社会は力関係がすべて。抗争に勝てば、収益も増える。長期的に見れば投資のようなものだ」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、溝口敦、鈴木智彦『職業としてのヤクザ』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

入れ墨が入った上半身をさらし、日本刀を抱く男性
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力関係だけで決まる「ヤクザのシノギ」

【鈴木】現在のヤクザたちは、表面上、平和共存路線を掲げています。好き勝手に振る舞い、抗争なんてしていたら警察に潰されるだけだ。侵さず侵されずを徹底し、トラブルがあっても暴力を使わずに解決しようというわけです。

稲川会や住吉会が加入している関東暴力団の親睦団体だった関東二十日会の規約では、トラブルで拳銃を使用することを禁じていた。ヤクザなのに相手を銃撃すると処分されるわけです。

でも、それがいくら社会的に許されない行動であるにせよ、抗争しなければヤクザに存在意義などない。喧嘩をしないヤクザなど全く怖くない。腰を低くしていたって、誰も言うことを聞きません。

【溝口】ヤクザのシノギというのは、もともと誰の許可も得ていない商売です。では、誰がどこでどんなシノギをするのか、どうやって決まるかというと、それは力関係によるしかない。

自分の縄張りだろうと、みかじめ料を取る店舗であろうと、賭博を開帳する場所であろうと、みんな同じです。要するに、ここはおれの勢力圏だ、というのは力で決めるしかない。

ところが、そのパワーバランスが崩れると、合法的な企業、合法的産業のように裁判所もないし、法的な規制もないわけです。となると、「腕ずくで来い」となるのは当然のこと。やはり暴力団というのは、基本的に弱肉強食の世界であるといえる。だから、争いは絶えません。その関連で抗争も起きてくる。