支援に繋がらない人は大勢いる
しかし、私にはいつも別のことが気になります。虐待してしまう親はそのようなセミナーに参加したがるだろうか。本当に支援が必要な親は、集団が苦手であったり、引きこもっていたりして、そもそもセミナーに参加できない親たちなのではないか、ということです。
もちろん何もしないよりはした方がいいに決まっています。ただ、その裏で本当は支援が必要にもかかわらず、支援に繋がらない人たちが大勢いる、という事実があります。子どもを虐待してしまった親は、時には支援者に攻撃的にすらなります。支援者が罵倒されることもあるかもしれません。
そういった場合、支援者としてもどうしてもネガティブな気持ちになり、あまり関わりたくない、支援したくないといった感情が出てくるのも無理からぬところでしょう。しかし、真実を言えば、“支援したくないような相手だからこそ支援しなければいけない”のです。
「やる気がなければほっておけ」でいいのか
大学でも似たようなことがあります。実は私も、大学で学生につい「勉強したい気があればいくらでも資料を提供します」と声をかけてしまいますが、それを聞いて積極的に申し出てくる学生はほとんどいません。そもそも勉強したい気がある学生は、こちらから言わなくても自分で資料を探しますし、私が声かけをしなくても向こうから「何かいい資料はないですか?」と聞いてくるのです。
“勉強したい気があればいくらでも資料を提供する”の逆は、“やる気がなければ放っておかれる”ですが、本当に頑張ってほしいのは、放っておかれるやる気のあまりなさそうな学生なのです。矛盾していることは分かりつつも、とても難しい問題だと感じています。
成績優秀者に給付される奨学金制度もしかりです。頑張って奨学金を取れる学生は、それはそれでいいとしても、頑張ってもそういった奨学金を取れない学生がアルバイトに明け暮れ、学業が疎かになり、単位を落としたりして、ますます悪循環に至っているのを知るにつけ、むしろ奨学金を取れない学生にこそ奨学金を与えて支援したほうがいいのではないか、と密かに感じています。
怠けている人ほど応援しなければ
先日も高校を中退した少年の話を聞くことがありましたが、高校は義務教育ではないので、学校に来ないと退学させられてしまいます。しかし、本人には高校に行きたくても行けない何らかの理由があることが多いのです。
まさに、学校に来られない生徒ほど実は支援が必要な生徒であることは、高校の先生方も十分に分かっているはずです。それでも、彼らは結果的には中退となり、切り捨てられることになってしまって、ますます支援から遠ざかってしまう現実があります。