「死因は肺炎の疑い」父親は78歳で静かに息を引き取った

同じ7月末、骨折で入院していた母親が退院。要支援1と認定された母親は、8月からデイサービスへ行き始めた。

父親に良いグループホームが見つかり、母親もデイサービスに楽しそうに通ってくれる状況に安堵し、夏の疲れが出たのか、南野さんは体調を崩した。病院を受診し、点滴を打ち、薬を飲んで安静にしているにもかかわらず、その日の夜には39度を超える高熱を出し、布団から出られなくなる。このときばかりは立場が逆転し、母親はまだ思うようには歩けない足で、買物や食事の支度などを代わってくれた。

車で片道1時間ほどの距離にある父親のグループホームへは、父親の受診日に合わせて会いに行った。南野さんは、だんだん表情がなくなっていく父親の様子が気がかりだったが、いつも受診が終わる頃には表情が戻り、嬉しそうに母親と話す父親を見ると安心した。

敬老の日に行われた施設での敬老会では、父親は代表挨拶をこなし、「朱里も踊ってきたら?」と久しぶりに南野さんの名前を呼び、楽しそうだった。

「以前、小規模多機能ホームにいた頃、父は『誰も自分を必要としていない。誰もかまってもくれない』と寂しそうに言っていました。『家に帰りたい』と言って聞かず、大喧嘩になったこともありましたが、グループホームに移ってからは、暴れることもなくなり、介護拒否もありません。当時は私自身がいっぱいいっぱいになっていましたが、父が一番大変な思いをしていたんだなあと、申し訳ない気持ちになりました」

2019年10月初旬。父親は突然体調を崩し、施設から病院を受診。点滴などの処置をしてもらったが、その後は食事も摂らずに横になっていた。何度か職員が様子を見に巡回していたが、深夜に呼吸が止まっていることに気づき、病院へ救急搬送されたが、死亡が確認された。78歳だった。

「深夜に連絡をもらい、急いで施設に到着すると、父の身体はまだほんのり温かく、顔は微笑んでいるように穏やかでした。死因は肺炎の疑いとなっていましたが、眠るように静かに亡くなったようです」

肺炎のX線画像
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父と母のW介護「何度も消えてしまいたいと思いました」

グループホームに移る前、父親はポツリと「お母さんの言う通りになった。もう動けなくなったから、家には帰れないな……」とこぼしたことがあった。

「父はずっと、身体が不自由になった自分を認められずにいました。いつも『俺は何でもできる!』と言って私たちを困らせました。ろくにリハビリをせず、母に頼りっきりで、自分は何もしなかったことから出た後悔の言葉だったと思います。頼りの母もがんになり、嫌でも誰かのお世話にならないと生きていけなくなった状況を、ようやく自分の中で受け入れた瞬間だったのでしょう」

施設の職員の対応が最悪だった小規模多機能ホームと有料老人ホームを父親が利用していた約2年間は、南野さんにとってもつらい期間だった。

「父は言うことを聞いてくれない、施設はひどい対応、毎日施設から電話が来て、父の苦情処理に追われ、仕事を辞めたのに自分の時間は全くない。そして母のがん治療……。父は、一番介護をしている私に怒りをぶつけてきました。それがとても悲しく、つらかった。何度も消えてしまいたいと思いました」