サムスン電子常勤顧問のクォン・オヒョン氏は、周囲の反対を押し切って携帯電話用のCPU事業を存続させた。その判断の結果、サムスンのCPUはiPhoneに使用されることになったが、成功したにもかかわらずひとつの“判断ミス”を悔やんだという――。

※本稿は、クォン・オヒョン著『ナメられない組織の作り方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

2016年1月8日、ラスベガスで開催されたCESにて。サムスンのブース
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社長就任後すぐに難しい判断を下すことに

2004年にサムスン電子システムLSI事業部の社長に就任したときの話です。就任するやいなや、私は選択と集中の原則に基づいて五つの主要な事業部門だけを残し、他のすべての事業を停止するという難しい決断を下さねばなりませんでした。

デジタルTVに搭載するCPU事業を存続させることについてはみなの同意が得られました。サムスン電子もTVを生産していますし、努力を重ねれば最高の競争力を持つ半導体を作ることができると判断できたからです。

しかし、モバイルデバイス(主に携帯電話)に搭載するCPUのApplication Processor、AP事業を存続させると言ったときには予想外の反発を受けました。

そのころ、サムスン電子のモバイルデバイス用CPUの生産規模は世界10位にとどまっていました。収益も極めて僅かで、実際のところ、製品として製造してもすぐに販売できる場所さえない状態でした。

しかし私は、将来あらゆる電子機器がモバイルに集中するという確信を持っていました。たとえ他の事業部門をすべて閉鎖しても、モバイルデバイス用CPUの研究は続けなければならない。そう考え、サポートを継続することにしたのです。

当時、世界の携帯電話市場を掌握していたのはフィンランドのノキアでした。モバイルデバイス用CPUを作っていたものの販売先がなかった我々としては、当然ノキアを潜在的な顧客として想定することになります。私はノキアを訪ね、わが社の製品を買ってくださいとお願いしました。営業をしたわけです。