「私は初めて小池さんの死を実感し、涙を流しました」
小池さんの死亡を二村さんが聞いたのは翌12日、病院で。神奈川県藤沢で行われた小池さんの葬式には二村さんの家族が代理で参加した。
「妻がお葬式に向かう電車の車内で、向かい側に座った見ず知らずの女性が喪服を着ていたので会釈をしたそうです。すると、『小池の妹です』と。この偶然の引き合わせを妻から知らされて、私は初めて小池さんの死を実感し、涙を流しました。体が動けるようになって、小池さんのご家族への弔問に向かいました。一周忌のタイミングでは、藤沢にある小池さんが眠っている霊園から講演会の依頼が偶然に入り、不思議なご縁だなと思いました。
この時、初めて小池さんのお墓参りに向かいました。そこは何万基という数の墓が並ぶ巨大霊園。しかも、同じデザインの墓石が無数に並んでいるので探すのが大変です。しかし、なぜか誘われるように向かった目の前にあったのが、小池さんのお墓でした。すべては偶然か、いやきっと小池さんが引き合わせてくれたのだと思います。改めて死者とのつながりを強く意識した経験でした」
亡くなった小池さんともうひとりの女性の遺族、そして二村さんらは「建物の安全管理に問題があった」として、国や日本遺族会(古賀誠会長)を相手に刑事・民事の両面で告訴する。だが、日本遺族会は九段会館を廃業にし、建物を国に返還。刑事捜査では、「地震の規模が大きく、事故を予見することはできなかった」として立件は見送られた。二村さんの治療費は歯のインプラントやリハビリなどを含めて200万円ほど。治療費や弁護士費用は出たが、お見舞い金は200万程度であったという。
「災害は予見とそれに基づく防災措置が大事ですが、災害が起きてしまった後のことも重要です。例えば東京都は首都直下型地震を想定して、各地に防災拠点を設けています。私も視察しましたが、水や食糧、医薬品の備蓄は万全のようでした。しかし、死に関する準備は何もない。
具体的には、遺体を収める納体袋や棺桶、あるいは死者をすぐに供養できる造花や仏具など。大災害になったら、死者が出ることは必然です。そんなこと考えたくないという人もいるでしょうが、けっしてそこから目を背けてはいけないんです。
実際、東日本大震災直後、私は葬儀社から多数の遺体の扱いの相談を受けました。身元のわからないご遺体がブルーシートを敷かれた床に並べられている。私は『床に直にご遺体を並べるのはいけません。非常時だろうが机などを使って、手厚く安置してあげてください。花もあればお供えして』などとアドバイスしました。修羅場だからこそ、死のケアが大事なのです」
コロナ禍で思う「人は歳をとって死ぬのではなく常に死と直面している」
2021年で大震災から10年が経過。この間、九段会館の建て替えが決まり、一部のデザインを残し、2022年に17階建の近代ビルに生まれ変わる予定だ。事故のあった大ホールも取り壊される。二村さんは時間の経過とともに、「過去」が忘れ去られることがあってはならないと訴える。
「私は長年、葬祭を仕事にしてきました。そこで大学の学生や業者さんには、過去の節目というのはとても大事だということを説き続けてきました。『過去にこういうことがあった』『こういう人が生きていた』などという、過去に基づく感性教育をもっとしていかないといけないと思います。東日本大震災の他にも8月15日の終戦記念日。国民はなんとなく追悼の気持ちを表しますが、だからといって、この日が国民の休日になっていて全国民で追悼するわけではない。時間の経過とともに関心が薄れ、亡くなった方への追慕の気持ちはどんどん失われています。どうも日本人は冷たいよね」
自然災害、緊急事態という点では同様の新型コロナ感染症の蔓延が続く。
「東日本大震災とコロナは重ねて見るべき。私は九段会館の事故を経験し『人は歳をとって死ぬのではなく、いつ何時も死と直面している』と実感しました。だから、常に死を意識して、日々、自分の役割を果たしていくことがとても大事なのです。ひとことで言えば、『人間至る所青山あり(どこでも骨を埋めるつもりで日々、精いっぱい生きること)』です」