「1万円札の顔」は2024年に現在の福澤諭吉(1835~1901)から「日本近代資本主義の父」といわれる渋沢栄一(1840~1931)に代わる。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は、「社会が疑心暗鬼になって差別が生まれるなどの歪みが生じているコロナ禍では、1984年まで流通した旧1万円札の聖徳太子(574~622)が打ち立てた理念や哲学こそ再評価されるべき」という――。
札束
写真=iStock.com/Hanasaki
※写真はイメージです

福澤でも、渋沢でもない「旧1万円札の顔」がいま再評価されるワケ

コロナ禍に見舞われなければ今ごろ、ある歴史的な偉人を讃えるイベントが、各地で盛大に行われていたに違いない。

その偉人とは飛鳥時代の政治家であり思想家である、聖徳太子(厩戸王)だ。聖徳太子は574(敏達天皇3)年に、用明天皇の第二皇子として生まれた。622(推古天皇30)年2月22日に49歳で亡くなっている。つまり、今年は聖徳太子の没後1400年忌(満1400年目)にあたる節目なのだ。

ちなみに聖徳太子の名は、死後に贈られたおくりなだ。本名は厩戸うまやとであるが、本稿では便宜上、聖徳太子と表記したい。

40代以上の世代にとって聖徳太子といえば、1984(昭和59)年まで流通した1万円札を想起するのではないだろうか。太子は、今日の日本の原型をつくったといっても過言ではない偉人中の偉人だ。また、仏教を日本に根付かせ、宗教の枠組みをも大きく変えている。太子は日本仏教界共通の功績者なのである。

そのため、太子が建立したと伝えられる法隆寺や四天王寺などでは今年、没後1400回忌法要が実施される予定だ。

「世田谷区太子堂」ほか、全国各地の地名には「太子町」が多い

聖徳太子は僧侶ではなかったが、各地の寺院では如来像や宗祖像などとともに、太子像を祀るケースも少なくない。そうした寺院では、太子の1400年忌は、とても大事な仏教行事になる。

しかし、いまいち盛り上がりに欠けているのは、コロナ感染症の流行が背景にある。本当は、奈良や全国の寺内町、地域の商工会や商店街などあちこちで「太子祭」が実施されてもよかった。

太子と地域との結びつきでいえば、各地の地名によく表れている。「太子町」などの地名は飛鳥に近い、大阪府や兵庫県など関西地方に多い。

東京都内でも、三軒茶屋の近くに世田谷区太子堂という地名がある。

太子堂の起源は16世紀末に遡る。奈良の僧賢恵けんけいがこの地を訪れ、投宿した際に夢に聖徳太子が出てきた。そこで賢恵は太子堂を建立し、太子像を祀った。この寺は圓泉寺という真言宗寺院として現存している。圓泉寺では2020年秋に実施された太子祭は、規模を大幅に縮小。先日2月2日実施予定だった「聖徳太子節分会」は中止に。2021年10月の「太子祭」の開催も、今のところ不透明だという。