東日本大震災の発生から10年になろうとしている。警察庁によれば、死者は1万5899人、内訳は宮城県9543人、岩手県4675人、福島県1614人、他9都道県67人(2020年3月1日時点)。あの日、東京都千代田区の九段会館にいた葬祭コンサルタントの二村祐輔さん(67)は、石膏でできた天井の直撃を受け全身15カ所を骨折。現地では隣席の女性を含め2人が死亡した。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏が、二村氏に当時の状況や行政の対応、防災の盲点、さらにはコロナ禍における心境を聞いた――。

10年たった東日本大震災、都内で九死に一生の男性が思うコロナ禍

10年前の東日本大震災では東北各県の被害がクローズアップされたが、実は東京都内でも7人(消防庁発表)の方が亡くなっている。そのうち2人の死亡者と、31人の重軽傷者を出した都内最大の「被災地」が九段会館(千代田区)だった。大ホールの吊り天井が落下、そこで行われていた専門学校の卒業式を直撃したのだ。

現在、葬祭コンサルタントとして活動している二村祐輔さん(67)は当時、専門学校の講師として式に参加。そして、石膏でできた天井の直撃を受けた。二村さんは全身15カ所を骨折するなどの重傷を負い、隣席に座っていた同僚の小池いづみさん(当時51)が即死。東日本大震災から10年目の節目に際し、二村さんがこの度、オンラインでインタビューに応じた。当時の生々しい状況を振り返るとともにその後の国や行政の対応や、防災の盲点を指摘した。

オンライン取材に応じる二村さん
筆者のオンライン取材に応じる二村さん

まず簡単に二村さんを紹介しよう。日本葬祭アカデミー教務研究室を主宰するなど長年、葬祭業界の指南役として活動してきた第一人者である。筆者は大学で共同授業を実施したり、シンポジウムでご一緒したりするなどのお付き合いをさせていただいている。二村さんは後進の育成にも熱心で、「葬祭学」という新しい分野を切り開き、専門学校や大学などで教鞭をとってきた。実務、教育の両面で「死」を見つめ、問い続けてきた人物だ。

「席から腰を上げた瞬間、天井がドーンと落ちてきました」

くしくも二村さん自身が、東日本大震災では死に直面することになった。

当時、二村さんは東京観光専門学校の非常勤講師を務めていた。2011年3月11日は午後2時から行われた九段会館での卒業式に参加。二村さんの事務所スタッフでもあり、同校の講師としても同僚であった小池さんも一緒だった。午後2時46分、東京都心は震度5強の強い揺れに見舞われた。

「私は別件があって、20分ほど遅れて会場に入りました。すでに卒業式は始まっていて、ステージ上では生徒の表彰が行われているところでした。私は『お待たせ』と、先に座っていた小池さんに会釈をして彼女の左隣に座りました。しばらく経って、にわかにホールが揺れ始めたのです」

東日本大震災では東京では3分を超える長い時間、揺れたとされている。大ホールは1階席に加え、後部に2階席が設置された構造。卒業生、父兄、教職員など600人近くが着席していた。二村さんと小池さんはステージから3列目の中央のあたりの席に座っていた。

「ステージ上では照明がガシャガシャと大きく音を立てて揺れ、それが来賓の方々に落ちてくるのではとヒヤヒヤしながら見ていました。揺れはさらに大きくなってきて、司会の人が『落ち着いてください。出口に殺到するといけないので、指示があるまでその場に着席していてください』と繰り返しアナウンスをしていました。しかし、私はあまりにも揺れがひどいので不安になり、小池さんに『これはちょっと危ないね。外に出たほうがいいですよ』と告げ、腰を上げた瞬間、天井がドーンと落ちてきました。私たちは逃げる間もなく直撃を受け、床に打ち付けられたのです」