<医者になるとは、どういうことなのか。医学生はどんな経験をし、何を思い、一人前の医者になっていくのか。医師・ノンフィクション作家として活躍する松永正訓氏が、千葉大学医学部で受けた解剖実習を振り返る:ニューズウィーク日本版ウェブ編集部>
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写真=iStock.com/alengo
※写真はイメージです
『どんじり医』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)
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小児外科医として医師の道を歩み、現在は開業医とノンフィクション作家という二足の草鞋を履く松永正訓氏。

コロナ禍の今、改めて「医者という仕事は悪くない」との思いを強くしているという松永氏が、初のエッセイを書き下ろした。未来の医療を担ってくれるかもしれない若い人たちや、その保護者に、自身の経験をシェアし、参考にしてもらえたら――。

どんじり医』(CCCメディアハウス)は、笑いあり、涙あり。一人の医師の青春譚だ。その一部を2回にわたって抜粋する。今回は第2回。千葉大学医学部で松永氏が受けた解剖実習の様子を活写している。

解剖実習の洗礼

医学専門課程1年目(分かりにくいので、3年生と書く)の最大のイベントは解剖実習である。解剖というと、みなさんは人のお腹を開けて内臓を見学しておしまいくらいに思っているかもしれないが、そうではない。人間の体の中にある、すべての筋肉・すべての血管・すべての神経を露わにしていくのである。実習はほぼ毎日、1年近く続く。学生は2人でペアを組み、上半身か下半身を担当する。つまり1人のご遺体に4人がつく。半年で体半分の実習が終わるので、次の半年は別のご遺体を使わせていただき、上半身と下半身を交代する。

医学生にとって避けては通れない道だ。実習を前にして緊張しない学生はいない。何しろリアルなご遺体にメスを入れるのだ。学生は実習に先立って『解剖学の実習と要点』(南江堂)という(昔の)電話帳のように分厚い実習書を買うように言われた。また、『分担 解剖学』(金原出版)という全3巻の解剖書も用意しておくように指示された。

ご遺体は腐敗から守るために、ホルマリンに漬かっている。そのため、学生は何カ月も実習を続けていくと、体中にホルマリンの臭いが染み込み取れなくなると噂されていた。

医学部は地上5階、地下1階のレンガ造りの重厚な建物だった。天井が異様に高く、階段などは石造りだった。玄関ホールは吹き抜けになっていて、ステンドグラスが窓にはめ込まれていた。時代物の柱時計が時を刻み、2階へ上がる階段の踊り場にはヒポクラテスの胸像が鎮座していた。かつては大学病院として使われていたという。当時は、東洋一の規模を誇ったらしい。

初めての解剖実習の日、ぼくたちは白衣を身につけ、『解剖学の実習と要点』を脇に抱えて、実習室のある地下1階への階段をのろのろと下りていった。足が重いとはこのことである。

ぼくはそのとき、渡辺淳一が書いた『白夜』(中央公論新社)という自伝的小説を思い出していた。渡辺淳一にとっても解剖実習はかなりのインパクトがあったらしく、かなりのスペースを割いている。その中に「食べ過ぎると、解剖のとき気味悪くて吐き出すらしいぞ」とみなにふれて歩く寮生がいたとの記述があった。