ぼくはいい医者になれるのだろうか
合格者の発表があり、ぼくの名前もあった。解剖学はできて当たり前である。でも、やはり何か誇らしかった。医者になるためにはこの先、山ほど勉強をしなければならないことは分かっていたけれど、自分は医学生としての第一歩を踏み出したのだと自覚した。人間一人の死をふまえて初めて経験できる領域に入って学問を修めたということは、もう、工学部とか理学部の学生とは違う世界に自分は生きているのだと厳粛な気持ちを抱いた。
献体してくれた人の心に応えて自分はこの先、やりきれるだろうか。そしていい医師になれるだろうか。いや、自分はやらなくてはいけないのだと義務感のようなものを覚えた。
最後にご遺体を棺に納め、解剖台を清掃するとき、太宰治が作品『葉』で引用した「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」という言葉がぼんやりと浮かんだ。
実習が終わったあとで、ぼくは転居を決めた。亥鼻山の上のアパートへ移ることにした。ぼくの階下の部屋がフィリピン人女性と思われる集団の深夜のたまり場になってしまったからだ。今度のアパートは6畳と3畳の二間。築20年の木造アパート。家賃は4万円。こうして仙人生活に入っていった。最も熱中したのは勉学と言いたいところだが、ぼくの青春はラグビーにあった。
抜粋第1回:平凡な文学青年だったが、頑張れば、ちゃんと医者になれた──「ヒドイ巨塔」で
当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら