(ああ、なんで今頃思い出すんだ。遅いじゃないか。もう、腹一杯に飯を食ってしまった)

教官に導かれて分厚い鉄の扉を重々しく開き、実習室に足を踏み入れる。そこは体育館くらいの広さがあった。整然と実習台が並んでいて、その台の上に白い布に覆われた人の形が盛り上がっている。指定された実習台の前にぼくは進んだ。ご遺体を前にして、3人の学生……男子2人と女子1人は強ばった顔つきをしていた。きっとぼくも同じ表情だろう。

この布の下に亡くなった人間がいるのかと思うと、やっぱり怖い。でも大江健三郎の『死者の奢り』(新潮文庫)という小説を読むと、ご遺体はホルマリンの水槽の中に密になって浮かんだり沈んだりしていると書いてあったので、自分で実習台まで運ばなくて済んだのは助かったと思った。

まずぼくたちは全員で黙禱を捧げた。それが終わると教官が黒板にササッと本日の解剖の要点を箇条書きにし、実習書のページ番号を指示した。

「はい、じゃあ、始めてください」

え、それだけ! という感じである。いきなりもう始まるのか。ぼくは仲間の顔を順番に見てから、布をゆっくりとめくっていった。3人から息を飲む気配が伝わってきた。

ぼくの担当は下半身だった。誰が最初にメスを入れるのか? ほかのグループの様子を窺うと、みんな戸惑っているようだった。ぼくは解剖実習書に目をやり、皮膚の切開線を確認するとメスを握った。同級生たちは開成や桜蔭出身の良家の子女である。一方、ぼくはどんじり医学生だ。最初に切るのはぼくしかいない。ぼくは心の中でご遺体に向かって、よろしくお願いしますと声を出し、サッとメスを入れた。吐き気なんて感じる間もなかった。こうして解剖の日々が始まった。

予想よりはるかに難しい

実習は予想したよりはるかに難しかった。教科書にはここを切れば、○○という神経があると書いてあるが、それが簡単に見つからない。メスを進めて懸命に探すとようやく行きあたる。その○○神経は足先に伸びたあと、2本に分かれ……などと書いてあるが、それが3本に分かれていたり、分かれる位置が教科書とは全然異なることが往々にしてあった。

こうした解剖学的な変異(バリエーション)を破格という。人間の体の中は、破格の連続だった。ぼくは人体が教科書通りでないことに何かほっとした気持ちになった。考えてみれば、目の前のご遺体にも何十年に及ぶ豊かな人生があったはずである。そして何かの事情や決意で自分の体を医学教育に役立てようと献体したのだ。人間の人生には一人ひとり個性とかバリエーションがある。だったら、体の中にだって破格があった方が人間くさくていいじゃないか。