学的理解が可能性を消してしまうことも

第四に、鮮度が重要という考えのきっかけとなったといわれる、売れ行き不振に関しては、翌年タレントの藤谷美和子を起用した「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません」のCMで一躍大ヒット商品へと変貌し、「店頭で埃をかぶった商品」を見ることもなくなっていた。商品の店頭回転率は、販促策の成功により大きく改善したのである。店頭の回転率が改善すれば、つくれば売れる状態になるわけで、鮮度問題も隠れてしまう。

鮮度管理概念の誕生においては、(1)意識して苦難の道を歩む先取りの選択、(2)先取りした流通革新の実施、(3)鮮度に対する高い感度、そして(4)当初の切実な問題を潜在化させる販促の成功があったのである。こうしたエピソードは、科学的理解が示すストーリー、「原因があって結果がある」というような、いわば出合い頭の話ではなく、いろいろな解釈が生まれそうな複雑なプロセスのありようを暗示している。こうした違いを反映して、たとえば、「ビジネスにおけるリーダーシップとは何か」という重要な質問に対する2つの発想の答えはたぶん違うだろう。

さて、「鮮度管理がなかったことが、販売不振を引き起こし、それを解決するために鮮度管理体制を構築した」というのが、鮮度管理概念の誕生についての科学的理解。だが、その理解では、当時関わった方々のさまざまな思いや目論見、あるいは先行する諸策や後に続く諸策への考慮には及ばない。当たり前といえば当たり前だが、科学的理解においてはいろいろありえたはずの可能性を汲みあげる志向はない。時には、単純化のために大きいデフォルメの機制も働く。そこに、現実の中に潜在する「ほかでもありえた」可能性を組み込み、現実を深い深度で理解しようというもう一つの立場の意義がある。

理科系発想と文科系発想、科学的理解と物語的理解。どちらが優れているというものではない。ここでは、ビジネスの世界で支配的な理科系発想が現実理解の唯一の方法ではないこと、隅に追いやられてしまいがちな文科系発想は、科学的理解の及ばない射程を秘めていること、このことをここでは確認しておきたい。物語的理解が経営実践に持つ意義については、機会をあらためたい。

(平良 徹=図版作成)