約44坪「平将門の首塚」の土地だけで40億円は下らない計算
なるほど、聞けば聞くほど恐ろしい逸話である。この地は将門の無念の思いが宿る聖地なのだ。だからと言って、国内にはそのような例はあちこちにある。
例えば京都では、「本能寺の変」で殺害された本能寺の場所は現在、住宅地になっている。東京都心部でも、墓地を移転してビルを建設しているところはいくらでもある。
三井物産も将門塚を、建設の邪魔にならない場所に移転したり、ビルの屋上に祀り直ったりすればよかったのではないか。なぜなら、大手町の土地価格の高さは都内でも屈指だからだ。
2020年3月に発表された三井物産近くの地価公示価格は、1坪約9091万円(大手町1-7-2)というとんでもない額である。地図から将門塚の敷地面積を推測するに、12メートル四方(約44坪)ほどだろうか。すると将門塚の土地だけで40億円は下らない計算になる。
三井物産が首塚を他へ移動しなかったホラーな理由
三井物産はそれをあえて避けて建設したのだ。なぜか。
実は過去、この地の開発をめぐって、さまざまな怪奇現象が起きていた。最初は大正時代のことである。
当時、大手町は官庁街であった。将門の首塚は大蔵省の中庭にあった。しかし、関東大震災で省舎が崩壊する。そこで首塚の場所を更地にし、その上に仮庁舎を建設する計画が持ち上がった。
仮庁舎の工事が進む最中、時の大蔵大臣・早速整爾が急死。さらに大蔵官僚や工事関係者ら14人が続々、不審な死を遂げたのだ。この時に、「大臣が亡くなり、工事関係者が不幸な目にあうのは、首塚を荒らしたからに違いない」との噂が広がる。結局、仮庁舎は取り壊されることに。首塚は元どおりに復元され、再び祀られた。
そして、およそ20年が経過した戦後間もなくのことである。GHQの関連施設の工事の際、過去の不審な出来事を軽視してしまい、再び首塚を撤去することになった。
すると今度は、重機が横転して、運転手が死亡。またもや将門の怨霊説が流れ、GHQの計画は白紙に戻ってしまう。そして、今回の再開発がやってきた。