もういちどだけでいいから、ツボちゃんと喧嘩がしたい

先生がおつまみの干しぶどうの房を枝から外している姿はよく覚えています。干しぶどうを、イライラした顔をしながらずっとちぎっているの。すべてちぎり終わると、「干しぶどういっぱい持ってこい!」って言うわけです。もう干しぶどうが溜まっちゃってますから、「先生、どうしてこんなに干しぶどう食べるんですか」と聞いたんです。そしたら、「なんだ、この店は! ふざけるな!」とテーブルを叩いてかんしゃくを起こすんです。「え、なにか私悪いこと言いましたか……?」って謝るんだけど、もう怒っちゃって怒っちゃって。だってあんなに干しぶどうがこんもりしていたら、そりゃ誰だって聞きますよね?

ザボンの40周年パーティーのときもそれは大変だったんです。パーティー会場に水割りがないというだけでとっても怒るんです。「ザボンは水割り代をケチった」と言って帰ってしまいました。ケチったといっても、ロックより水割りのほうが安いじゃないですか。

そのときは、「悪いけど、もう来ないで」と先生を一時出禁にしたんです。

でも結局、「トイレ借りるだけだ」と店に来て、本当にトイレだけ入って帰るんですよ。「なんだ先生、あんなに怒っておいてやっぱり会いたいのね」と私も妙に愛おしい気持ちになってしまうのだから、先生とは切っても切れない縁だったんですよ。

でもお酒を飲んで一番楽しかったのはやっぱり坪内先生なんです。「そうなんですね、知っています」なんて言うと、「知ったかぶりをするな!」と怒られるので、迂闊なことは言えないんですけど。いちど、病気などいろいろなことが重なり、ザボンを閉めようかと悩んでいるときがありました。

そんなとき、あの坪内先生が「応援するから辞めなくてもいいじゃないか」と言ってくださったんです。「自分だけでは足りないから」と、いまではザボンの常連になってくださった重松清さんも、先生がご紹介してくださいました。映画『酒中日記』では先生の提案で、新宿の文壇バー「猫目」とザボンをメインの舞台にして撮影してくださいました。「喧嘩するほど仲が良い」どころの話ではありません。私は先生の奥底に垣間見える人情の深さに、いつもうれし涙を浮かべておりました。

先生が最後に店に来たのは、19年の12月26日でした。「あんたね、もうボケてるから、早く辞めたほうがいいよ。晩節を汚さないように辞めたほうがいいよ」なんて失礼なことを言うもんですから、「何よ、そっちのほうがよっぽどボケてるじゃない!」と言ってやったんです。もういちどだけでいいから、ツボちゃんと喧嘩がしたいです。