角川春樹

1942年生まれ。國學院大學文学部卒業。父親が創業した角川書店に入社後、書籍と映画のメディアミックス路線を敷き、「犬神家の一族」「人間の証明」などで一世を風靡する。93年麻薬取締法違反などで逮捕、獄中生活を経験。出所後は、角川春樹事務所を舞台に、雑誌「ポップティーン」「ブレンダ」や「ハルキ文庫」を刊行。句集『信長の首』で芸術選奨文部大臣新人賞・俳人協会新人賞、『流され王』で読売文学賞を受賞。今年11月には、自ら監督した「笑う警官」が公開される。「最初から若者は捨てて、大人が笑える映画を目指した」という。


 

2年5カ月3日の獄中生活を終えて、真っ先に向かった飯屋が、「大漁」だった。もう5年も前になるが、長い付き合いのご主人と奥さんが、涙ながらに迎えてくれたのを、今でも覚えている。そのとき食べた鯛めしは、旨かった。「大漁」は普段、色飯は出さないのだが、俺の好物とわかっていて、振る舞ってくれたのだ。

なにせ、刑務所の飯は滅茶苦茶にまずい。3食の予算が200円以下というのだから無理もないが。仕方ないので、刑務所ではテレビの料理番組ばかりを見ていた。美味しい料理や旨い店の番組を、なめるように見ていたものだ。そこでわかったことがある。美味しさは、脳が感じるものということだ。舌より先に脳が感じる。つまり、画像や活字でも、美味しさは感じられる。だから、テレビや本で、渇きを我慢していた。

その束縛から解放されて向かったのが「大漁」。続けて、旨い酒を飲みたいと、知り合いの作家から推薦された六本木の有名なバーに立ち寄ったが、ここは期待外れ。翌日も、別の名高いバーに行ったが、さほど旨いと思わなかった。

3日目に訪れたのが「Woody」。まずマンハッタンを注文した。口をつけてすぐ、こいつは本物だと思った。マティニも飲み手に媚びずに、キリっとした切れ味がある。

マスターに言わせると、旨いカクテルの決め手は気合だそうだ。最後に「美味しく飲んでもらいたい」と祈りを込めるのだろう。

刑務所を出てから間もなく、俺は脳を開くことに成功した。ヒンズー教の神であるブラフマーは、危険だからといって、人間の脳を数%しか働かないように結束したという。俺は、ある儀式を通じて、ぶっ倒れながらも、その封印を解いたのだ。

脳が開くと、信じられない能力が備わる。俺は、市谷の亀ヶ岡八幡宮に参拝した際に、武道の神が身体に入ったらしい。このことは、いま日本でヨーガの第一人者と称される人物から言われた。

自分でも訳がわからないが、寝ているだけで胸囲が10センチも増えたりする。昨年の3月には、神社で木刀を3万3000回振ることに挑んだ。それも、ただの木刀ではない。新撰組が使った天然理心流のもので、通常の4倍の太さと重さのある木刀だ。

一流の剣士でも1万回は振れまい。それを、事務所の者などに見守られる中、7時間かけて振り切った。

先ごろにも、1万5000回を振った。終わった後も、筋肉痛にならないし、むしろ爽快な気分である。

食の好みも変わった。圧倒的に和食を好むようになった。時々、自分でもびっくりするような量を食べることがある。そんなときは、俺が食べているのではなくて、俺の中にいる神が食べているのだと感じる。